第86回 筑波大付属教員研究大会/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 自由学園 最高学部(大学部)/ 最先端の大学教育

第86回 筑波大付属教員研究大会/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 最先端の大学教育【自由学園 最高学部(大学部)】

前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」

第86回 筑波大付属教員研究大会

2017年12月26日

師走9日、筑波大学付属高校で行われた第67回高等学校教育研究大会で講演をした。「時に海を見よ-これからの中等教育に期待すること」と題した。全国の教員300名ほどの前だった。最近の講演では、パワーポイントを使うのだが、今回は資料があるわけでもなく、漫然と話すことにした。中学・高校・短大・大学での教員生活の体験談を枕にしながら、待ったなしで始まる道徳教育について私見を述べた。

今までの教員生活の中で、やはり一番心に引っかかっているのは、最初の勤め先であった南太田の横浜市立商業高校(定時制)でのことだ。浜っ子がY校と呼ぶ学校だ。今ならそんな兼任は許されないであろうが、その頃私は、大学院の修士課程の学生で、午前中は、池袋の立教大学に通っていた。
午前中大学の授業を受けて、昼飯は品川駅で肉まんをほおばり、急いで入校する。時々入り口には教頭先生が立っていた。授業は、午後5時からだが、勤務時間は2時から。クラブ活動の後片付けをして10時半に校門を出る。何としても時間が足りなかった。修士論文も抱えていた。結婚も控えていた。クラス担任を持ち、張り切っていた。
そんな時きまって遅刻をする生徒がいた。何度注意してもへらへらしている。自分がこんなに忙しく頑張っているのに、こいつは何だ、へらへらと注意もきかず・・・。3回遅刻で1回欠席のルールもある。このままでは進級できなくなるかもしれない。チカチカ点滅する蛍光灯が私の気持ちを一層高ぶらせた。
「学校を続けるのか。辞めるのかはっきりしろ。何度言ったらわかるのだ。遅刻するなら学校に来るな。」
大声に教室は凍った。しばらくして、看護士をしていたクラスで一番優秀な女生徒が、不貞腐れたように沈黙を破った。
「先生やめなよ。若い先生はこれだからね・・」
「うるさい。」私はさらに声を荒げた。すると遅刻をしたその生徒はぷいと席を立つとそのまま廊下にでた。
また戻って来るだろうと思っていた。しかし、1か月経っても彼は教室に戻って来なかった。2か月ほど授業のたびに彼の名前を呼んだが返事はない。帰りがけ、彼の家にクラスメートと訪ねたが、誰も出てこない。地方から集団就職でやって来て妹と一緒に住んでいるということや給食の牛乳を家に届けて遅刻していたことを後で知った。
「給食費もらって、退学届出すように言ってください。」
何度か事務室に呼ばれてそう云われた。
これが48年間の教師生活の始まりだった。

反省もし、「遅刻を叱るな。選択を迫るな。」そう自分に言い聞かせても、そしていくつになっても、未だに「云わなきゃよかった」そんな思いに駆られることが多い。
忙しいと云うことは、自己の行動の正当化なのかもしれない。「先生は忙しい」たぶん生徒にそう思わせたら、教師は失格なのかもしれない。しかし、やはり忙しいのが現実だ。どうすればいいかと云うことは話すことは出来ない。しかし言ってはならないことを云って相手を傷つけたことをしっかり記憶しておくことは出来るのではないか。
教育の根本はこのことに尽きるのではないか、などと話をした後で、道徳教育の話をした。

道徳教育と人権教育は違う。
道徳は、個々の国や地域の文化によって異なる基準を持つ。伝統的によい習慣と思っているのが道徳だ。文化教育と云ってもいい。一方、人権教育は、個別的なものではない。人権を守ると云うことは、世界共通の認識だ。身につけると云ったものではない。学ぶ、そして歴史を教える必要がある。人権教育に力を入れることによって、狭い意味での国家観に基づく道徳教育を越えられるのではないか。人権教育は可能性を持っている。
道徳教育の時間を人権教育に・・。 とは言っても、人権教育には難しさが伴う。
差別をなくさなければならないと授業で取り上げた時、生徒たちの多くは、それに正義感で応じるだろう。差別が誤った考え方であると、感じてくれるであろう。しかし、その中の一人が、その授業を受けたことによって差別の知識を得て、クラスの誰かをバイキン呼ばわりしたリ、国籍の差別を、障害の差別を、被差別部落への差別を口に出すことがある。人権教育が寝た子を起こすと云った懸念だ。多くの教師はそれを体験したリ、耳にしていると思う。
私にも体験がある。互いの理解をもっと深めるべきだと語っても、被害にあった生徒は固く口を閉じるだけだった。加害の生徒へも厳しく注意した。しかし、結果、時間の経過と生徒自身の自己回復を願うだけだった。自分が傷つけてきた生徒のことを思い出す。
人権教育への責任は自己嫌悪からの出発だと云ってもいい。誤解を恐れずに言えば、自虐的自己史の点検こそが道徳教育への出発に求められているのではないか。

教師は、どうしても人権とは何かを問わねばならない。人権教育は責務だ。
如何なることを、私たち教師は為すべきなのか。
その突破口は、人権被害を学ぶことだ。又、今現在人権侵害が進行している現場に足を向けることだ。公害によって人権が侵害されている現場がある。原発の事故によって人権が侵害されている現場がある。実に多くの現実が人権を侵害する現場の発源になっている。
それに目を向けることなしに、人権教育は成り立たない。所謂教師の研修旅行といったものではなく、是非一人で、その現場に足を向けてほしい。教える前に、悲しみに打ちひしがれている人や深い差別の傷痕に悩む人の現場で自己を見つめてほしい。
例えば水俣の海を、福島の海を、広島の海を、長崎の海を、、、。
一人で見てほしいと思う。そして生徒の前でその旅の話をしてほしいと思う。否、生徒の前で語らなくてもいい、言葉を失ってもいい、沈黙の結果でもいい、どんなに忙しくても、日常に追われていても、海を見に一人で行き自分と対峙してほしい。それはもちろん管理者でもある校長や教頭や、さらに教育委員会の一人一人が率先してなすべきことである。
道徳教育の導入は、人権のおもさを生徒と語る好機ととらえるべきだ。我々一人一人が、人権阻害の源になった現場を見る努力<旅>は必要だ。生徒の前で沈黙しかできなかったとしても、その旅が自分を見つめる機会になる事だけは確かだ。

支離滅裂な話で終わった後、高校の前の坂を下っていると実に妙な気分になった。降って湧いたように10年ぶりでタバコが吸いたくなった。定時制の用務員室で、年かさの生徒と一緒に吸ったタバコの匂いがした。帰りがけ黄金町の屋台で飲んだ冷酒が浮かんだ。

 

2017年12月26日 渡辺憲司(自由学園最高学部長)

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