第89回 映画「はじめてのおもてなし」/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 自由学園 最高学部(大学部)/ 最先端の大学教育

第89回 映画「はじめてのおもてなし」/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 最先端の大学教育【自由学園 最高学部(大学部)】

前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」

第89回 映画「はじめてのおもてなし」

2018年1月29日

映画好きの妻に「これは必見よ。」と勧められた。
ドイツのミュヘンを舞台とした「はじめてのおもてなし」。
今年最後のゼミの時間に、この映画の話にふれたら、三日後にはゼミ生が揃ってこの映画を見に行った。東京が48年ぶりの寒波に見舞われた日だ。
妻にも学生にも先を越されたような気がして、雪道に危うく転げそうになりながら銀座の映画館に行った。

それは忘れられない光景だった。
2015年9月3日。トルコの浜辺に、ギリシャに向かったシリア難民の3歳の男の子の死体が打ち上げられ、波間に揺れた赤いシャツの写真が世界を駆けめぐった。船に一緒に乗っていた兄も母親も亡くなった。
悲惨な報道は相次いだ。アウトバーンを放浪し歩き続ける多くの難民。
ハンガリー政府は難民受け入れを拒否しブタペスト駅を封鎖した。
渦中の9月4日夜。ドイツのメルケル首相は、ブタペスト駅に取り置かれた難民をドイツが受け入れると宣言した。
そして9月5日、ミュンヘン中央駅では、難民たちの乗った列車が駅に到着するや歓迎の大喝采がわき上がった。<駅での大歓迎>だ。この年ドイツは45万人以上の難民を迎え入れた。

この映画の制作が始まったのは、2015年春。所謂<駅での大歓迎>より以前のことだ。
封切られたのは、2016年11月。ドイツの町に多くに難民収容施設が作られた頃だ。歓迎の一方で、国民の中には難民へのテロ疑惑が広がり、日常の破壊を恐れた者も多くあった。

場所は、ミュンヘンの高級住宅街のハートマン家。引退を勧められながら、若さにしがみつく医師リヒャルト。妻アンゲリカは元教師。長男フィリップは仕事一筋で妻に逃げられた弁護士。フィリップの12歳の息子、孫のバスティは勉強そっちのけでラップとゲームに夢中。長女ソフィは31歳になっているが未だ大学生。この家族に、アンゲリカがディアロというナイジェリアからの難民を連れて来る。
人物は戯画化され、ドイツ富裕層の典型のように見える。あまりにありふれた家族構成にドラマを感じさせるものはない。しかし、話の展開の中で、観客は、そのありふれた家族の中に自分を投影していく。如何にもありそうな状景に自分を劇中化する。
素朴な寛容さが生む悲喜劇が進んでいく。
ストレスがたまり部下に八つ当たりするリヒャルト、その若返り作戦はことごとく失敗、笑いを呼ぶ。ディアロと一緒に庭作りをするアンゲリカもその友人の大げさな歓迎ぶりも笑いを呼ぶ。仕事に遅れまいと空港で税関と揉み合うシーンも笑いだ。大人ぶってストリッパーを出演させるビデオをつくる少年達もストーカーに追い回される大学生もおかしい。難民歓迎のパーティーも、極右の難民排斥デモも笑えるのだ。
ディアロを迎えた結果家族は崩壊寸前になる。その崩壊もコミカルだ。何度も映画館は笑いの渦に巻き込まれる。

隙間を埋めるような笑いに包まれながらも、観客は今現実に進行している難民問題が笑えぬことであることを知っている。
退学処分を迫られたバスティを救うのは、それまで過去を語らなかったディアロが、バスティの学校で語った<過去>だ。壊れた家族を救うのは、やはりディアロだ。先進国が抱える孤独を救ったのだ。家族とは何かを気付かせてくれたのが難民ディアロの存在だった。
救いの手を差し伸べたはずのドイツの家族が、救われた手から救われたのだ。

何度も笑った。そして映画が終わる時には涙が頬を少し濡らした。
銀座の町の夕暮れ、心が今まで味わったことのなかったように揺れた。軽く深く・。
日本でこんな映画が出来るだろうか。
この映画のドイツでの観客動員数は400万を越えたそうだ。
ドイツと云う国の上質の文化を思った。

 

2018年1月29日 渡辺憲司(自由学園最高学部長)

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