第94回 「いのりの海へ」余談/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 自由学園 最高学部(大学部)/ 最先端の大学教育

第94回 「いのりの海へ」余談/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 最先端の大学教育【自由学園 最高学部(大学部)】

前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」

第94回 「いのりの海へ」余談

2018年3月14日

65歳2010年3月に立教大学文学部を退職した時、これからは少し時間に余裕が出来るだろう、出来る限り本を出したいと思った。同年の8月に立教新座中学高校の校長に就任し、それも難しいかなと思ったが、5年間で以下のような本の刊行に関わることが出来た。

『江戸吉原叢刊』全7巻(共編・八木書店・2010-12年)・『吉原の落語』(監修・青春出版社・2011年)・『環境という視座 日本文学とエコクリティシズム』(共編 勉誠出版 2011年)・『時に海を見よ これからの日本を生きる君に贈る』(単著・双葉社 2011年)・『海を感じなさい。 次の世代を生きる君たちへ』(単著・朝日新聞出版 2012年)『江戸遊女紀聞 売女とは呼ばせない』(単著・ゆまに書房・ 2013年)・『An Edo Anthology: Literature from Japan’s Mega-City 1750-1850』(共編 ハワイ大学出版部 2013年)

2015年、70歳で立教学院を退職し、自由学園から声をかけていただき、最高学部長として教職生活を続けることが出来た。望外の幸せと云うものだった。周囲の方に迷惑をかけながら、本の刊行も続けられた。まことに感謝・陳謝の産物である。

『読んでおきたいとっておきの名作25』共編(旺文社 2015年)・『江戸遊里の記憶 苦界残影考』(単著・ゆまに書房 2017年6月)

そして今回、2018年3月15日付で『いのりの海へ 出会いと発見 大人の旅』(婦人之友社)を刊行した。
雑誌『明日の友』(婦人之友社)で6年間連載したものから抜粋した、群馬の甘楽、岩手の平泉、島根の温泉津、アイルランドのダブリン、東京都の八丈島、佐賀の有田、アメリカのコンコード、カナダのプリンスエドワード島、三重の鳥羽、青森の竜飛、ドイツのライプチッヒ、栃木の足利、千葉の佐原、北海道の函館、香川の小豆島、沖縄の久高島などや、その後『明日の友』の企画に同行した、山口の徳山、さらにこのブログで取り上げた、熊本の水俣・千葉の勝山・福島の浪江などの旅をまとめたものだ。

何かテーマをもって書こうとする時、資料をじっくり読みこんでから書くと云うタイプでないのは昔からだ。考える前にまず走り出すのだ。
最初の学会発表となった「山鹿素行と松平定綱」でも、平戸と桑名に一週間ほど滞在してから研究を始めた。25歳の時だ。『新日本古典文学大系 仮名草子集』(1991年 岩波書店)の仮名草子の注釈の時も、まずやったことは、所収の「身の鏡」の作者江島為信に関連する今治や宮崎へ行くことだった。

博士論文となった『近世大名文芸圏研究』(八木書店)も、目標は、全国の県庁所在地の図書館を訪ねることだった。(これだけは達成した)この本の骨格にもなった、茶人佐河田昌俊の略伝を書こうとした時に、羽生と聞いて、てっきり石川県の羽生と思い、金沢の図書館に行ったところ、埼玉県の羽生の間違いだったことに気づいたこともあった。
そして、行く先々で、昼間は図書館、夜は昔の遊郭跡を彷徨し、その付近の安い小料理屋で飲み明かした。若く放埓な行動の結果が地方遊里史の研究につながり、『江戸遊里の記憶』をまとめることが出来たのだ。

フィールドワークを重視するなどと云うものではない。作品の関連のある所で空気を吸うことによって作品がわかるような気がするのだ。集中的に作家や作品、またその歴史について考えることが出来るのではないかと思う。生み出した土壌への敬意のようなものも養われるのではないかとも思う。
中古のフイルムカメラに凝っていた頃、マニア仲間のフランス文学者が云った言葉が忘れられない。
「ミノルタは大阪でよく写るんだ。ドイツはライカでなけりゃ空気はとれない。」

二年ほど前、学部で宮沢賢治の研究を卒業論文に選んだ学生がいた。ところが彼女は賢治の故郷も、小岩井農場も訪ねていないと云うことだった。
「小岩井農場の銀河も、蝶も見ずに賢治を語るな。」
「夏休みに行きます」と彼女。
「もたもたするな。今週末に夜行バスで行って来い。」
「でも授業が・・。」
「一回ぐらい休んで追いつけないような授業があるか・・。」と私。
唇をかみしめた彼女は、翌々日、賢治の旅へ出かけた。
翌週の彼女。
「土砂降りの雨でした。蝶も星も見えませんでした。でも少し宮沢賢治がわかるような気がしました。」と。
今、彼女は学園を卒業して、教員を目指している。

外国での旅は妻と一緒だった。気を許し合っているつもりなので・・・無鉄砲な旅だ。プリンスエドワード島の宿は前日に予約した。観光シーズンに外れていたので、夕食が出ない。パンを売っていると云う店まで妻と歩いた。まっすぐ伸びた車の通らないハイウエイ。50メートル以上先を、プリプリ、ずんずん歩いていた妻が「沼にビーバーがいるわよ」と叫んだのを思い出す。冷え込んだ夕暮れの空に一番星が出ていた。

「いのりの海へ」と題した。

連載企画だったので、編集者やカメラマンの周到な準備による旅がほとんどだったが、ぶっつけで同行者を困らせた旅だった。予期せぬことが起きるのが旅の醍醐味だとも思う。連載時は「たまさか紀行」と題した。「たまさか」には、「邂逅」の字を当てる。偶然の出会いの意味だ。
それを今回、邂逅への感謝を込めて「いのりの海へ」とした。無事だったことをいのり、支えられた親切な出会いへの感謝の思いを「いのり」としたのである。海は母なる豊饒の海。エッセイとしては、海シリーズの3冊目だ。

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2018年3月14日 渡辺憲司(自由学園最高学部長)

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