第105回 ロシア・サハ共和国ヤクーツク見ざる行かざるの記/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 自由学園 最高学部(大学部)/ 最先端の大学教育

第105回 ロシア・サハ共和国ヤクーツク見ざる行かざるの記/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 最先端の大学教育【自由学園 最高学部(大学部)】

前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」

第105回 ロシア・サハ共和国ヤクーツク見ざる行かざるの記

2018年8月9日

8月2日からロシアサハ共和国のヤクーツクへ行く予定でした。
ところが7月22日にネパールから帰国し、ヒンズー教の魅力が憑依したのでしょうか。一週間で3度も劇場に通ったためでしょうか。(池袋の東京芸術劇場の外部評価委員の仕事です)東アジアの環境文学の国際会議の基調講演に無理があったのでしょうか。孫のサッカーチームが金メダルを取った話に興奮したためでしょうか。赤坂歴史散歩の『東京人』連載記事で「岡見京子」(日本で最初に米国留学で医学博士になった女性・看護婦学校の創始者)を取り上げたためかもしれません。どこかの医大の女性差別に原稿を丸めてぶつけたいような気分で久しぶりに徹夜したためかもしれません。
暑さに負けまいと、疲れにムチ打って、ウナギを食べ過ぎたせいでしょうか。すき屋の牛丼とうなぎのコラボは見事ですが、宮崎、延岡の白焼き鰻(通販)で鰻の皮のうまさを初めて知りました。 一杯の生ビールと冷や酒一合との自戒が、劇場の帰りにG党集合の何時ものうどん屋で、ヤクルト連勝で二杯、二合と飲み、元監督の前で反旗をひるがえしたのが祟ったのかもしれません。
出発2日前に5年ぶりの不整脈が出ました。心電図も異状なく、行く気になりましたが、ドクターストップ。
「全部払ったんですがね。キャンセル出来ないんですよ」と貧乏根性丸出しで鼻をふくらませると・・。
「市販の<救心>でおさまるかもしれないがね。無理しない方がいいよ。年だからね」
というわけで、高価な完全休日が続くことになりました。

講演会などでも、次の旅はネパールとロシアです、などと語っていましたから、同行の人だけでなく、私の吹聴を聞いてくださった人まで裏切ったような申し訳ない気持ちです。
サハ関連の本が書棚にむなしく並んでいます。
能因法師が見ざる<みちのく>を追慕して歌を作ったように、見ざるサハを思って少し記しておくことにしました。いつの日か、シベリア行きの夢を叶えるために・・。

サハへ誘われた時、真っ先に浮かんだのは大黒屋光太夫です。
光太夫は、伊勢からアリューシャンに漂流したあと、カムチャッカから大陸のオホーツク、そしてヤクーツクを通って、イルクーツクへ行ったのです。(その後、サンクトペテルブルグまで行き、女王に謁見します)その苦労話は、井上靖、吉村昭、椎名誠、などで語りつくされていますが、光太夫の聞き書きを記した桂川甫周の「北槎聞略」について再考し、近世紀行文学史研究における位置付けの機会を得ようと思いました。海に囲まれた国であるにもかかわらず、イギリスのような、海洋文学が日本には存在しないと云われてきたのですが、江戸時代の鎖国が故に生まれた外海への旅、漂流記はその文学史の空間を埋めるものです。

1918年から始まったロシア革命への干渉戦争であるシベリア出兵のことは、私の中ですり抜けるように滑り落ちてきたテーマでした。日本は米・仏・英などの連合国派兵の10倍の派兵7万を費やし、多くの犠牲のもと、日本が侵略国家への道を歩み始めたこの戦争の意味は何だったのか。
大陸侵略の先駆けとも云うべきこの戦争が終わった1922年に成立したのがサハ共和国です。ソビエット社会主義教共和国連邦の成立の時です。私が今まで関係した武蔵高校も、立教大学(大学認可)も、そして、自由学園もこの頃に出来たのです。まあ年代的には、サハ共和国と100周年を共に祝ってもおかしくないのです。

サハはロシア最大、日本の9倍の面積の共和国です。地下資源豊富で、世界最大規模のダイヤモンドの産出でも知られています。田中義一内閣が、満州侵略か、サハ買収かで迷ったと云った風説さえあります。
N・ヴィシスキー著『トナカイ王』(成文社)によれば、サハリン、樺太で、トナカイ王と呼ばれ、莫大な富を得たヤクーツク人の毛皮商人ドミートリー・ヴィノクローフは、故郷のサハ独立に向けて日本の支援を求めて活動したのです。
日本人に最もよく似た風貌を持ったサハ共和国は日本から遠い国でありません 。

ヤクーツク人の伝説です。「神様が世界中に富を配分しようと思い、出発しました。ヤクーツクの上空に来た時、神様の手が凍ってしまい、宝の入った袋を落としてしまったとさ。」
サハは宝の山です。そして冬は北極よりも寒いそうです。零下70度にまで下がったことがあるそうです。マンモスの赤ちゃんがほぼそのままの形で冷凍保存され博物館に展示されているそうです。見たかったですね。
米原万里の『マイナス50度の世界』は、ワクワクして読みました。ヤクーツクには、「客にごちそうをふるまわないくらいなら、その客をののしって追い返した方がまだましだ」ということわざがあるそうです。さぞかし歓待を受けているでしょうね。
この本には、ヤクート料理の献立がのっています。「馬の脂身の塩漬けの冷凍」(熊本の馬刺しのたてがみに似てるかな・・)・「トナカイの舌の塩ゆで」(仙台の牛タンよりうまいかな・・)・「トナカイのレバーのたたきを団子にしたもの」(これにウオッカはたまらないだろうな・・)「ヤクート・バター」(クリームのように軽いそうです。黒パンにあいそうだ)

環境と人類学と地域のシリーズ『シベリア 温暖化する極北の水環境と社会』(京都大学出版)は、サハ共和国がおもな調査区域です。水が人格化される話も面白かった。創世神話の中で、サハでは湖を親愛の情を込めて「おばあさん」と呼ぶのだそうです。「おばあさん」から子供たちが生まれたのです。川に性別を付けるそうです。そう云えば、ライン川は男性名詞、ドナウ川は女性名詞、そうか利根川も坂東太郎で男か・・。

そしてなんと云っても、感動したのは、気鋭の人類学者奥野克己さんから紹介してもらった、デンマークの人類学者レーン・ウィラースレフの『ソウル・ハンターズ シベリア・ユカギールのアニミズムの人類学』(奥野氏らの共同訳・亜紀書房)が刺激的でした。ユカギールは、サハの先住狩猟民族の小集団です。
本書を読み進めば、安易なアミニズム論に決別するいい機会になるでしょう。「人間と人間ならざるものが対等に出会う地平」への切込みは私の今までの安易な自己と動物の関係性への破裂弾でした。帯は解説を引用して次のように述べています。「本書では一貫して、ユカギールの人格が、デカルト的な意味で自我(コギト)として自立しているのではないことが論じられている。自我は、自我が関係する世界から切り離されるのではなく、関係的かつ文脈依存的に生成する。」と。しばしば頭に浮かんだのは、日本の児童文学の残虐な動物説話であり、さらに黄表紙の動物お化けたちでした。

奥野さんの『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』(亜紀書房)も絶品でした。ボルネオ島の狩猟採集民「ブナン」との交遊?交感?です。自由とは、幸せとは、勃起とは、アナキズム以前のアナキズムなど・・。
不整脈の最大の原因はこの本への興奮だったかもしれません。必読です。

今頃は、きっとレナ川をクルーズしている頃でしょう。夕陽を見ながらレナの大洪水を思い起こし、神々に近づくことが出来たかもしれない・・。
寝る前に始めた養命酒のせいでしょうか。疲労感も不整脈も嘘のように治りました。サハの夏至祭の「馬乳酒の歌」が夢に出ますが・・。

 

2018年8月8日 渡辺憲司(自由学園最高学部長)

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