第106回 岡見京子/最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 自由学園 最高学部(大学部)/ 最先端の大学教育

第106回 岡見京子/最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 最先端の大学教育【自由学園 最高学部(大学部)】

最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」

第106回 岡見京子

2018年9月2日

岡見京子は、日本が近代への歩みを始めよとしていた明治時代のはじめ、女子医学留学生第1号として渡米、日本では、女性として初の医学博士となった人物です。
彼女のことを、『東京人』10月号の赤坂関連の連載記事で書きました。
昨今、女性医師となることを希望している受験生への差別的な入試が問題化されています。『東京人』の原稿では触れ得なかったこともありますので少し書くことにしました。

岡見(旧姓西田)京子は、安政6年(1859)現在の青森県で生まれました。慶応3年(1867)、英国人相手の貿易商の父とともに江戸の京橋近くに移り住みます。京子9歳の時でした。
明治6年(1873)、明治4年アメリカの伝道師ブライアンらによって創設されたキリスト教のミッションスクール横浜共立女学校に入学。この学校のキリスト教育の中で、京子は洗礼をうけ、この後熱心なクリスチャンとして生活を送ります。
又、ここで終生の熱い師友関係を結ぶM・Tツル―との出会いがありました。後年(明治26年)、二人は新宿、角筈に日本最初の看護婦学校設立に奔走することになります。
明治17年、25歳の時、頌栄女学校の美術教師であった岡見千吉郎と結婚、熱心なクリスチャンであった岡見の影響を強く受け、貧民伝道に心を寄せます。結婚1か月後、岡見は新渡戸稲造とともに渡米、留学します。そして、岡見を追うように彼女も、フィラデルフィア州ペンシルバニア女子医大に入学します。信仰に支えられた若き夫婦の強い意志の決断でした。

この頃の、岡見京子の印象を、彼女の同地での生活を全面的に援助した、富豪ウイスターモリス夫人は、1989年京都を訪れた際に次のように語っています。
「甞て、日本の御婦人が私の宅を訪はれましたから、其目的を伺ひますに、医学研究の為と申されました、其容躰を見るに、顔色青く躰瘠て気力なく、かゝる人が学問の研究特に学問の中でも難渋なる医学を研究するは大なる誤にて、到底むつかしい事と思ひました。然し四年を経て見ました時には、全く変つて、顔色も充分に紅みを保ち、肉つき、実に壮運なる人となり、学問も進歩致しました。是に依つて思ひまするに、日本女子の身躰の孱弱なるは、教育発達の方法其宜しきを得ざるが為にして、決して素より弱きには非らざる事と信じます」(『女学雑誌』明治23年5月24日)と記しています。

当時留学生として一緒だった、シリア・インドの留学生と写った写真が残されています。転載はしませんでしたが、是非ネットでご覧下さい。シリアのその後の女性医師の活躍について知りえませんでしたが、インドの新聞「タイムズ・オブ・インディアン」によれば、インドの医学生で女性の占める割合は、現在、60パーセント、パキスタンでは70パーセントだそうです。
日本では、いまだ女性医師の占める割合は、30パーセント前後です。岡見京子の努力は無視されたといっても過言ではないでしょう。

やせぽっちでひ弱な京子はたくましく成長し見事に卒業し、医師免許を得、4年後に帰国し、慈恵医大婦人科主任となります。
しかし彼女はこの職場を3年間で離れています。その理由は、病院への天皇(皇后とも・・)行幸の際、女性であるがゆえに拝謁を遠慮するようにと云われたことに憤慨したことによるとも云われています。 又、熱心なキリスト教徒であることが周囲のナショナリズムによって排斥されることにつながったのかもしれないなどとも云われています。
おそらく、米国の民主主義的教育を受けた彼女にとって、耐えがたい働く女性差別の因襲が日本に根強く残っていたのでしょう。 それは今も根源的に存在する問題です。彼女は、その後、新宿に結核療養施設衛生園(赤坂病院分院)を建設するなど、明治の医療改革に大きな足跡を残します。衛生園は、看護婦学校の実習校となるべきものであり、女性が病院を退院後、家へ帰り家事育児などにとらわれ、ゆっくりと静養できず、結果的には病勢の悪化を招いてしまうことが多かったために作られたものです。当局はこれに最初正式な認可を下しませんでした。当時の(現代でも通じるでしょう)女性労働に対する無理解の根深さを示すものでもあります。ここにも岡見の先進的な活動を知ることが出来ます。
又女子学院・頌栄女子学院などでも教鞭をとり、キリスト教育と女子教育に貢献しました。昭和16年没。82歳で亡くなっています。

羽仁もと子とは少し時代が違いますが、同じ青森県出身です。医師と教師と云う形で道は違いますが、多くの点で類似点を見出すことも出来そうです。
よく知られているように、男女平等ランキングで日本は、2015年以降、順位を下げ2017年は、114位です。35歳未満の女性医師の数も減少していることとも関係するでしょう。

江戸時代の女性の識字率は、おそらく世界トップクラスであったと云われています。江戸時代の女性の知的遺産を生かしきれなかったのが近代です。羽仁もと子をはじめ 明治の開拓精神を持った女性たちの歩みが富国強兵の名のもとに止まったのは、何故なのか。なぜ今も続くのか。考えなければならない大きな人権問題です。

 

2018年9月2日 渡辺憲司(自由学園最高学部長)

カテゴリー

月別アーカイブ