第144回 如月日誌 -大ポカ・還暦・フットフイット・こどもパートナー・ルワンダ・上方アンソロ/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 自由学園 最高学部(大学部)/ 最先端の大学教育

第144回 如月日誌 -大ポカ・還暦・フットフイット・こどもパートナー・ルワンダ・上方アンソロ/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 最先端の大学教育【自由学園 最高学部(大学部)】

前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」

第144回 如月日誌 -大ポカ・還暦・フットフイット・こどもパートナー・ルワンダ・上方アンソロ

2020年2月18日

大ポカをやった。女子部高等科での礼拝担当をすっかり忘れてしまったのだ。
冬晴れの朝、秋津乗り換えロード、まだまだ元気と人の波かき分けて急ぎ足、突然聞きなれた女子部部長から電話、「今どこですか」「秋津だよ。おはよう」と元気に応答、「先生、今日は礼拝ですよ。」「えっ来週でしょ。」冷や汗が腹の上ににじむ。大相撲初場所千秋楽を升席で見た後、興奮冷めやらず、連日相撲談議で飲み過ぎたのがよくなかったのだ。2日前には、立教の創立者記念の奨学金選考の会議も一週間間違えていた。躁から鬱へ、2日間ほど反省しきり、北大路欣也の「空海」・中村錦之助の「日蓮」・三国連太郎の「親鸞」と引きこもって古いビデオを見る。今年度前期の講義はこれを参照にやるつもり。

3日。部長会の後、早稲田大学で、環境文学アンソロジー編纂の会議。古典から近代まで全10巻を越える目論見だったが、まずは災害と文学と云ったところで急ぎ出版をと合意。

4日。学生野球連盟審査員会議。球春近し今年は久しぶりに選抜観戦か。

5日。上野で旺文社編集と打ち合わせ。悩める高校生に一言と云われてもなかなか答える術がない。夜は吉原を文学散歩、桜鍋で沈酔。

6日。ちょっと風邪気味。自重。

7日。有楽町の飲み会ドタキャン。

8日。『東京人』赤坂歴史散歩連載の件。編集と会い、次年度の計画まとまる。

9日。理事会と重なり武蔵教え子還暦の会にFBでメッセージ。以下その一文。

<還暦を迎える教え子たちに
教え子が還暦を迎える。20代後半から30代前半に6年間武蔵中高で教えた諸君だ。私がもっとも放埓な教師であった頃だ。二人の息子が生まれた頃だった。一人目の時は、江古田で泥酔し、「イチジの父だ。」などと玄関で騒ぎ、翌朝の遅刻は常習だった。授業の開始は8時20分。江古田駅8時15分着が定番だった。二日酔いで頭がガンガンしながら教室に入ると、子供たちは「ソフト、ソフト」と大合唱。渡りに船とグランドに出る。黒板にベケン休講率、張本の打率を越えるなどと書かれた。
国語科の研究室では緊張した。名著「老子細読」の深津胤房先生が隣席。「渡辺さん。大漢和辞典で済ましちゃだめだよ。一字十冊の辞書は引かなきゃね」などと云う。私の博士論文の基礎にもなった、老荘思想との出会いは先生を抜きには考えられない。向かい側の席は、佐藤秀先生。先生以上の文書読みに未だ出会ったことはない。いつも机に広げていたのは、江戸の文人の手紙だった。「ケンジ君。君は癖が読めない。江戸の手紙は無理だな。」と云いながら、3日に1日は一緒に文書を読んだ。10年後に立教大に戻ってからも、教えを乞いに日参した。『学海日録』を読み切ったのは7割以上先生のおかげだ。
現在、日本で最大最高の辞書は、『日本国語大辞典』(小学館)だが、この辞書の濫觴は、武蔵中高の国語研究室での語彙採集からだ。リーダーは、ふらりと現れニッコリ笑った松井栄一先生だ。「ケンジさん。もう一度、静嘉堂で原本見てきてもらおうかな」などと云われて立ちすくんだこともあった。
正義感が空回りしていた。プールに非常勤の体育の先生(風邪気味と訴えていた)を子供たちが担ぎ上げて落とした(2月?)ことがあった。「誰がやったんだ」と教室で叫んでも誰も手をあげない。「連帯責任だ」などと、クラス全員をぶん殴ったこともあった。45年ほど前のことだが、暴力教師何とも許されることではない。時効で許されぬような冷や汗をかくような事件も多くあった。
鵜原の海の向こうに見えていた青い空や、教室のはじけるような諸君らの笑顔を大切にしまい込んでおきます。
75を過ぎながら相変わらずの現役、公務にて還暦の会に参加できません。諸君の健康と活躍を祈ります。そして先だった仲間たちのことを思い冥福を祈ります。>

なんぞと書いたが、理事会早く終わり江古田で降り、二次会に参加。よみがえる少年の春。

9日。三浦雄一郎コマーシャル。「エベレスト登頂も夢でない。」筋肉電気刺激で足をのせるだけで歩く力のトレーニングになるそうだ。夢のような筋トレ道具「シックスパッドフットフイット」を購入。「このままでは寝たきりまっしぐらですよ」などと脅したかかりつけのドクターに見せてやりたい。「駅の階段上がったら・・」と夢覚ます妻の声。

12日。卒業判定会議。よい春が来そうだ。夜、編集者と池袋うどん屋で男色文化特集の企画相談。帰路学園卒業生と遭遇、あまりの嬉しさにイタリアワイン。

13日。池袋、東京芸術劇場で手紙座公演『燦々さんさん』。葛飾北斎の娘お栄の若き日。脚本長田育恵の一言一言が舞台で立ち上がる。初夜、妻となったお栄が、意気地なしの夫に罵声「てめぇは、ただの蛾。とるにたらねぇ蛾なんだって。炎に近づくけど身を焼かれて苦しむだけ」。炎はもちろん北斎。気が早いが、今年観劇ベストスリー候補だ。

14日。浮世絵講義受講者と、北斎の墓参り(浅草、誓教寺)・浅草文学散歩、ホッピー通りで小灼の予定だったが、コロナウイルス人込み警戒で中止。在宅、立教時代のゼミ生N君が新刊『八百屋お七論』出版、あとがきの末尾、夫への感謝の後「本書をまとめる時間をくれたのか、奪ったのか、判断が付きかねる双子の息子にも。」とある。出産、子育ての最中での労作、鋭い論考だ。

15日。最高学部主催「こどもパートナー認証講座」定員オーバー35名の活況。学園の男子部生13名・女子部生4名・学部生4名・学内職員7名・学園外の社会人が6名。(子育てにもっとも遠い位置にあるように思われる男子高校生が多いのはちょっと意外だったが、実に頼もしい。)私は、土佐の下級武士の日記を題材に江戸時代の子育ての話。他の講師(酒本絵梨子准教授・咲花昭嗣准教授)の話が抜群に面白かった。デンマークのベタゴー(子どもたちの弁護士・生活支援員)・ソサエティー5.0(Society 5.0)を迎える子供たちの現実など。はじめて聞く話に大きくうなづく。帰りがけ、女子高生が「先生楽しそうでしたね」とニッコリ話しかけてきた。

16日。東京大学にて「アフリカ圏日本文化・日本語教育研究会」主催のオープンフォーラムに参加。ジンバブエとマラウイの特命全権大使の挨拶などがあった後、ブルンジの医療従事者の不足と妊婦及び幼児死亡率の話。日本の死亡率をはるかに超える医療現場の現実に改めて驚愕するとともに日本が果たすべき役割を考える。この会には、ルワンダへギャップイヤーで行く学部生と一緒に出席。彼からはルワンダのこと学んだ。ルワンダは、アフリカのシンガポールとも云われる先進性を有し、ビニール袋の持ち込みなどは厳しく制限されている、又街中ではゴミが一掃され見事な清潔感を保っているそうだ。アフリカのことを知らな過ぎることに気づかされる一日だった。若い学生の好奇心に刺激を受けるのは、老教師冥利だ。帰路、一緒に白玉汁粉、絶品だった。

17日。帰宅すると、ハワイ大学出版局から『A KAMIGATA ANTHOLOGY LITERATURE FROM JAPAN’S METROPOLITAN CENTERS,1600-1750』が届いた。協力者の一人に名前を掲載していただいたが、何とも面映ゆい。私は驥尾に付してウロウロしていただけだ。これで上方・江戸・東京を中心に、1600年から1920年までの英訳の日本文学アンソロジー3冊の完成である。優秀な翻訳者の協力のもと、約20年を要した労作だ。世界の日本文化文学研究者(殊に日本近世文化の研究者)にとって必須のテキストとなることは間違いない。中心となった、インディアナ大学のスミエジョーンズ教授のもとにはせ参じて祝意を述べたいところだ。この本については、また機会を改めて紹介しよう。大きな仕事が日の目を見た。ケンタッキーバーボンが血の中を熱くめぐった。

 

2020年2月18日 渡辺憲司(自由学園最高学部長)

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