第170回 無力感を超える―福島県立ふたば未来学園中学校・高等学校訪問記/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 自由学園 最高学部(大学部)/ 最先端の大学教育

第170回 無力感を超える―福島県立ふたば未来学園中学校・高等学校訪問記/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 最先端の大学教育【自由学園 最高学部(大学部)】

前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」

第170回 無力感を超える―福島県立ふたば未来学園中学校・高等学校訪問記

2021年1月21日

2011年3月の東日本大震災以降、何回、被災地を歩いたかわからない。ほとんどは一人であったが、生徒や学生の5,6人と沈黙のままに被災地を回ったことも何度かある。ボランティアグループでも何度か行った。復興の足音を身近に感じたこともあったが、無力感が自分を覆うことが多かった。殊に、福島原子力発電所のあった福島浜通りへ行くたびに無力感が私を襲った。それは今も基本的に変わらないのだが、2020年12月の初めに、広野のふたば未来学園中学校・高等学校を訪ねた時から、その無力感が少し変わった。

常磐線広野駅から坂を上り約1キロ。海の見える丘の上に学び舎がある。
ふたば未来学園高校が、開校したのは、2015年(平成27年)4月だ。学区は県内全域。1学年の定員は120人。双葉郡からの応募がもっとも多く、仮設住宅などで避難生活を送ってきた新入生もいた。通学圏外の60人余は寄宿舎から通うことになった。(2019年4月からは6年制の中高一貫校)

初代校長丹野純一氏は、建学の精神を次のように述べている。
「震災と原発事故という、人類が経験したことのないような災害を経験した私たちには、これまでの価値観、社会のあり方を根本から見直し、新しい生き方、新しい社会の建設を目指し、変革を起こしていくことが求められており、それは、未来から課せられた使命ということもできる。私たち人間は、理想とする未来の姿を思い描きながら、いま、ここにある現実を、少しずつ、少しずつ変えることができる存在である。それは未来を創造することにほかならない。ふたば未来学園は、まさに、未来への挑戦である。」

学び舎は冬の日差しをいっぱいに浴びていた。「東北の春を告げる町広野」と書かれた駅前の標語を思い出した。

通されたのは、「 caféふぅ」(地域協働スペース)。ここは生徒が社会起業部の活動の一環として運営されているカフェだ。地域の住民とのつながりを大事にするという目的で開かれたもの。コーヒーやパン、生徒手作りのチーズケーキなどのスイーツが人気だ。1期生の生徒たちが地域一丸となって復興に向かうため「学校を人の集まる場にしたい」と抱いた思いを後輩たちが受け継ぎ、カフェ開設という形で実現させたのだそうだ。「caféふぅ」。タンポポの綿毛が「ふぅ」と飛ぶように、この場所から未来に羽ばたきたいとの願いだ。

体育館・教室・グランド、何もかもが新しい。特に目を引いたのは演劇のために用意された、多目的ホール(未来シアター)だ。ふたば未来学園では、演劇が必修科目であり、演劇による教育がこの学校の教育を支える枢要になっている。この場所を伝えること、この場所で希望を力に、夢を紡ぐための教育の根本に演劇がどっしりと根を下ろしているのだ。平田オリザ氏は「演劇を使ったコミュニケーション教育は、単なる情操教育や表現教育とは異なり、異なる価値観を持った人とも共生していくための、文字通り21世紀を生き抜く力を養うものです」(学園案内)と述べている。

「caféふぅ」で生徒手作りのハンバーグを食べた。ボードには「双葉みらいラボとは?? 先生でも友達でもないナナメの関係に溢れたふたば未来学園の生徒が主役の放課後スペース」などとある。ここは学校というより、立場を越えて交わる新たな街なのだ。<悲劇には違いなかったでも悲劇では終わらせない>そんな若者の思いが伝わる。テレビモニター画面には、「震災を教訓に変え未来を考える場所にしたい」と語る生徒のインタビューが映る。図書館前の廊下の壁には所狭しと、生徒の<未来創造探求>プロジェクトの内容を示したボードがある。

プロジェクト名「未来の未来ちゃん」のボード「私が思う地域の課題は、震災を語り継いでいく人の減少・高齢化と、震災・原発事故の課題や正しい知識にきちんと向き合っていないことです。自分自身ももっと地域課題を知ることが必要であると考え、震災で行き場をなくした動物を保護した団体へのボランティアや、廃炉国際フォーラムへの参加などを行ってきました。また、近々、白河市でイベントを開催する予定です。」とある。

コーヒーカップをカウンターに戻しに行った時に、生徒に「木戸川産鮭フレークの瓶詰」を勧められた。木戸川のサケ漁は双葉郡楢葉町の秋の風物詩として知られている。10人ほどの漁師が川に入り、上流で川幅いっぱいに網を広げ、浅瀬を数十メートル歩き、下流に仕掛けた網を手繰り寄せるという伝統「合わせ網漁」だ。木戸川の漁協は、4度のモリタリング検査を行い、安全基準をクリアしている。震災前は春に稚魚を1200匹から1500匹放流し、秋には7万匹以上の漁獲量があったそうだが、今は1割ほどの水揚げにとどまっている。今年10月30日の報道陣へ公開した漁の時は一匹もかからなかったそうだ。(『朝日新聞』10月31日)

昼休みを終わって教室に戻る生徒に「授業・・」と声をかける。今日は、イラクにいる高遠菜穂子氏とオンラインだそうだ。高遠菜穂子氏は、難民問題などでイラク支援を今も続け、憲法9条の護憲派の活動家として知られる。悲しみの中で原発難民とも呼ばれた若者の心をゆさぶるような地球規模のメッセージが語られたに違いない。

現実に身を置き遠い未来を見据えることは極めて難しい。しかし我々は被災地の今を見据えることで新たな希望を創造しなくてはならない。地域の復興をわが身のこととしなければならない。

無力感は、ふたば未来学園訪問によってその硬直をすこし溶解したようだ。前に進めと、後ろから背中を押してくれた。

日立駅での乗り換え時間、ガラス張りの空中テラス風?のカフェでビールを飲んだ。寄せてはかえる波の音が聞こえるような所だ。

2019年の冬、浪江の「希望の牧場」を訪れた。帰還困難な立ち入り禁止区域内の牧場だ。震災後ここでは牛が飼われ続けている。その目的を絵本『希望の牧場』(岩崎書店 2014年)は記す。「闘いつづける「希望の牧場」のすがたを、「悲しみ」ではなく「強さ」をこめて絵本に残せたらと考えました」と。はじめ360頭以上の牛がいたそうだが、私が見たのは約50頭ほどだ。見たと云っても、タクシーに待ってもらった10数分だ。牧場の周りも少し歩いた。絵本そのままに牧歌的で美しかったが強い異臭が、私の体をがんじがらめにした。迫る夕闇、私の方によってきた細い牛の目を忘れることが出来ない。あの時の原発への怒りと絶望感は今も変わらない。

暮れなずむ海の向こうで牛が鳴いている。

私は何かを断ち切るような思いで残りのビールを飲んだ。鮭フレークを指で少し舐める。辛味がきいたいい味だ。冬の海は必ず春の海になる。春は夏になり秋になり、木戸川に鮭が戻ってくるに違いない。その頃にはコロナ禍も消えているだろう。来年は数万匹の鮭が帰ってくるに違いない。

【追記】
以上の文章は、2021年2月中旬刊行予定の『指導と評価』3月号(図書文化)掲載のものです。
又、2月25日刊行の角川文庫『生きるために本当に大切なこと』の一文と部分的に重複します。『生きるために本当に大切なこと』は、アマゾンなどネットで予約が始まりました。よろしくお願いいたします。池上彰さんが解説を書いてくださいました。
https://www.kadokawa.co.jp/product/322010000447/

2021年1月20日 渡辺憲司(自由学園最高学部長)

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