第121回 「隣人を自分のように愛しなさい」(『新約聖書』マタイによる福音書22章39節)/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 自由学園 最高学部(大学部)/ 最先端の大学教育

第121回 「隣人を自分のように愛しなさい」(『新約聖書』マタイによる福音書22章39節)/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 最先端の大学教育【自由学園 最高学部(大学部)】

前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」

第121回 「隣人を自分のように愛しなさい」(『新約聖書』マタイによる福音書22章39節)

2019年3月2日

あまりに悲劇的な児童虐待の話が続いています。目や耳をおおいたくなりますが、いま私たちにできることは悲劇を直視することです。もちろん狂気としか思えない親の所業に憎悪をつのらせることも、加害者にひそんだ病理の追及も、国家の法改正も必要なことです。学校、教育委員会、児童相談所の責任を追及し原因究明に当たらねばなりません。
そして、私たち一人一人が行わなければならない事は、この問題を私たち自身の問題として受け止めることです。例外中の例外であると云った意識で、他人事として受け止めていたならば、悲劇はさらに拡大するでしょう。悲劇の拡大を防ぐのは我々の責任です。
これは隣人の犯したことなのです。隣人とは私たち自身のことなのです。
隣人が変わったのではありません。私たち日本人が変わったのです。

安政6年(1859年)に来日したイギリス公使オールコックは、次のような光景を記しています。
「江戸の街頭や店内で、裸のキューピットが、これまた裸に近い頑丈そうな父親の腕に抱かれているのを見かけるが、これはごくありふれた光景である。父親はこの小さな荷物を抱いて、見るからになれた手つきでやさしく器用にあやしながら、あちこちを歩き回る。ここは捨て子の養育院は必要でないように思われるし、嬰児殺しもなさそうだ」

快活な子供が町にあふれていたことに驚いたのは、オールコックのみではありません、他の外国人が一様に江戸時代末の日本の子供たちの光景に驚いたのです。
江戸時代、悲惨な飢餓状況の中で子供が間引きされ犠牲になったり、身売りが行われたことは確かです。このような光景ばかりであったとも思いませんが、西欧の養育姿勢と日本での子どもの扱いが異なった印象を与えたことは確かです。

こんな話も西鶴作品に出ています。幕末から150年ほど以前です。
「生きとし生ける者で、子に迷わない者は一人もいない。どれほど愚かに生まれついた子供でも、その親の前では決して悪く言ってはいけない。子供の悪事が重なり、それを懲らしめようと杖を振り上げながらも、脇から止めてくれる人が出て来るであろう、なぜ早く止めてくれないかと恨むものである。ことに七歳より小さい子供の場合は、例えば左の手で箸を持ち、金槌で茶釜を割っても、「いや、気の強いところがある、男はそれでなくてはならない。箸もしまいには自分から右の手で持つようになるものだ」と軽く言い流して、仮にもよその子の賢いことを、話にも出してはいけないことだ。」(元禄7年(1694)刊『西鶴織留』巻六)

子どもへの盲目的な愛情が、子供の成長に悪影響を与えることもあるでしょうから、自分の子供ばかりかわいがるなどと云うことは、利己主義につながるでしょう。自分の子供にとっても良くないことです。しかし、子供の欠点ばかり探し出し、褒めることを忘れ、躾と称して悪口を並べたてるなどもってのほかのことなのです。他人の子供と自分の子供を比較してはならない。人はそれぞれに良いところがあるのだから長所をくみ取らねばならないとも言っているのです。
そして西鶴は、折檻する親が子供に暴力をふるうような時でも、誰かそれを止めるのを待っているのが親と云うものだ、誰も止めてくれなかったらその親が周囲の者を恨むに違いないとまで言っているのです。子育てに関しても他人のお節介を待っていると云っています。

今までの長い教員生活の中で、暴力をふるう何人かの保護者の方と接してきました。児童相談所に生徒の保護を依頼したこともあります。その時の保護者の反応は一様です。
「うざい!お節介だ!」です。
うざいは、「じゃま、面倒だ、うるさい」といった言葉です。これは会話の拒否です。多くの若者が使う言葉として伝染した言葉です。東京近郊の方言であったのが1980年代から一般的に使われた新語です。
「お節介」は、語源ははっきりしませんが、「ちょっかい」などと同義で、いらぬことに口を出したり、余計な世話を焼くことの意味で古くから使われています。
「私の子供のことだほっといて下さい。余計な口出しは邪魔だ」と暴力をふるった保護者は云うのです。

1990年の児童虐待に関する児童相談所での対応件数は、1101件でした。これが、2007年度では4万件を越え、さらに2017年度では、13万件を越えました。各地に児童相談所が設けられ相談件数が増加したこともあるでしょう。それにしてもなんと児童虐待が増え続けたことでしょう。平成の約30年間で100倍以上に増えたのです。2007年の統計を示したのは、この年熊本の慈恵病院に「こうのとりのゆりかご」(所謂赤ちゃんポスト)が設置された年だからです。
赤ちゃんポストの是非について軽々に結論を出すことはできません。しかし、2019年の報告によれば、一週間に一人の割合で幼児虐待によって幼い命が奪われています。
これはかって日本の歴史上ありえなかった「平成の悲劇」です。偏った孤立・個人「家族主義」の行き着いた果てです。

江戸時代で、児童虐待で死に至らしめるようなことがあったら、極刑です。各藩によって異なるでしょうが打ち首が妥当です。
幼児虐待をしたものは、地獄へ堕ちると教えられもしました。地獄の名前は、「悪見処」。源信の「往生要集」には、「ある所は悪見処と呼ばれているが、他人の子供を捕まえて、よこしまなことを強姦して、泣き叫ばせた者がここに墜ち、苦しみを受ける。それは罪人が自分の子供も同じ地獄に墜ちているのを見る苦しみである。ある者は鉄の錐で、その子供の陰部に突き刺し、あるいは鉄の鈎をその陰部に打ち付ける。罪人は我が子にこのような苦しみがふりかかっているのを見て、愛しさのあまり、悲しみに魂消え、堪え忍ぶことができなくなる。」とあります。

児童虐待、この場合は性犯罪です。これを犯した者は、自分の子供が同じような責め苦に合うと云うのです。親としてそれは耐えられないであろうとの前提があって地獄の責め苦を受けるのです。わが子を殺した者が堕ちる地獄はありません。わが子は自分の自由になる私有物と考えたからでしょうか。そうではありません。源信の視野にそのようなことは視野に入らなかったのです。

江戸時代中期に出された、「生類憐みの令」は、犬の保護、動物愛護の過剰な法令として知られていますが、本来は「捨て子」保護政策です。捨て子を放置する者、殊に捨てられた地域が放置した場合への厳しい罰則です。「七歳までは神の子」とされた江戸時代、子供は公共的愛情の対象だったのです。子供が捨てられた場所の住民はその子を養育する責任があったのです。
極端な例を示したかもしれません。しかし私が言いたいのは、現代の悲劇が隣人への関与を忘れた結果ではないかと思うからです。

先日、自由学園の保護者会のリーダーの方々と話す機会がありました。その時、こんな声が上がったのに私は驚き、感動しました。
「自分の子供だけでなく、他の子どもたちの状況も知らせてほしい。何かお役に立つことがあったらしたい。」

各々の私的情報に関する配慮は十分にしなければなりません。しかし、その配慮が孤絶を生むことになってはいけません。他人の子供の悩みを、自分と同じように子育てに悩む仲間としてとらえよう。他の子供のことも自分の子供と同じように考える。
他者は自己の反映、自己は他者の反映。もとより過干渉ではありません。他者の子育てへの無視は罪悪です。「うざい」と拒否する姿勢と何ら変わりません。今の世だからこそ、互いの愛に基づく「お節介」が必要なのです。
他者を愛することは、自由学園がよって立つイエス・キリストからのメッセージであり掟なのです。

「隣人を自分のように愛しなさい」(マタイによる福音書22章39節)

 

2019年3月2日 渡辺憲司)自由学園最高学部長

 

【追記】
以上は2月23日の三部合同保護者会でお話しさせていただいた一部です。3月中旬刊行予定の「保護者たより」と重複しています。

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