2月18日(水)10時40分~12時20分に、最高学部棟中教室で共生共創プログラムイベントとして第6回共生共創フォーラム「公害を語り継ぐ~対立を超え未来を創る~」が開催され、最高学部学生のほか、オンラインで27名の方が参加されました。
今回は、講師として小泉初恵さん(水俣病センター相思社・最高学部2年課程卒)と林 美帆さん(岡山理科大学教育推進機構、公害資料館ネットワーク・女子最高学部卒)、またコメンテーターとして原子栄一郎さん(東京学芸大学環境教育研究センター)をお迎えしました。
小泉初恵さん(水俣病センター相思社)のお話〈要約〉
私は現在、水俣病センター相思社で活動しています。自由学園最高学部2年課程を修了後、大分の大学で環境について学びました。最高学部でのネパールのワークキャンプなどの経験から、当初は海外の開発課題に関心を抱いていました。卒業前に指導教員から水俣の話を聞き、「2年ほど働いてみよう」という軽い気持ちで訪れましたが、気づけば10年が経っていました。水や食べ物の豊かさ、魅力的な人々との出会いが私を水俣に引き留め、水俣病をめぐる複雑な現実にも直面しました。
水俣は穏やかで美しい海をもつ町で、現在は漁業も再開され、貝を拾って食べられるほど自然の恵みがあります。しかしその海で、四大公害病の一つである水俣病が起きました。工場から排出されたメチル水銀が魚を汚染し、人や動物に深刻な神経症状をもたらしました。水俣病の公式確認から12年間排出は続き、高度経済成長を支えたプラスチック原料生産の恩恵は、現代に生きる私たちにも及んでいます。つまり多くの人が、間接的な受益者でもあります。
症状は外見から分かりにくいものも多く、侵された神経細胞は回復しません。さらに被害は健康面にとどまらず、「うつる」「遺伝する」といった誤解や、認定をめぐる分断、差別や中傷など、社会的苦しみも大きいです。加害企業チッソと患者が同じ地域に暮らす状況の中で、被害を語る難しさもあります。汚染海域は13年かけて埋め立てられ、現在はエコパークとなっています。
当初は環境学習支援のNGO職員として働くつもりでしたが、資料保存や展示に携わり、学芸員資格も取得しました。語り部や実物資料の力を重視してきましたが、「水俣はモノと人に頼りすぎ」という指摘を受け、語り手の高齢化を目の当たりにして、伝え方を模索するようになりました。語りをもとにした紙芝居教材や、写真を使った対話型ワークショップ、参加型展示など、一方向ではない学びの場づくりに取り組んできました。当時実験に使われた数の猫838匹の写真を使って歴史を可視化する企画など、重い歴史に柔らかな入口を設ける工夫も行っています。
近年は「水俣・写真家の眼」プロジェクトで、写真家9人の作品保存と活用に携わっています。駅での展示では、市民が写真に付箋で思い出を書き込み、水俣病だけでない多様な記憶が共有されました。過去を振り返ることが水俣病と直結して重くなりがちな中、楽しい記憶から糸口をつくる試みでもあります。
自由学園での徹底的な話し合い、寮生活や労作の経験は、立ち止まり問い続ける力として今も支えになっています。どんなに近づこうとしても「よそ者」である私は、当事者にはなれない距離を自覚しつつ、その立場だからこそ見えるものを模索しています。ただし、発信が地域を傷つけないように慎重さも忘れてはならないと考えています。
目指しているのは「忘れない」ことよりも「思い出せる」ことです。記録を保存し、触れにくい記憶に柔らかな関わり方を用意しておくことだと考えています。水俣は「豊かさとは何か」を問いかけてくる場所です。水俣病が起きたことで達成された経済的な豊かさは、大量生産・大量消費を前提としたものであり、それに支えられた豊かさです。しかし、その犠牲になった自然の恵みの豊かさや、その連鎖の豊かさこそが大切なのではないかという問いを突き付けられます。教訓は受け取る側の姿勢によって生まれます。その問いを受け取り、次世代に手渡すために何ができるかを考え続けています。
林 美帆さん(岡山理科大学教育推進機構、公害資料館ネットワーク)のお話〈要約〉
私は自由学園女子最高学部を卒業後、高校の歴史教員を志して大学に進学しました。しかし当時は団塊世代の教員が多く、歴史の採用枠がほとんどなかったため、大学院へ進学しました。そこで指導教員から資料を読む経験を勧められ、大気汚染公害裁判の資料整理のアルバイトに関わったことが、公害問題に向き合う出発点となりました。世の中の公害への理解は進んでおらず、公害といえば水俣病やイタイイタイ病、四日市ぜんそく程度の認識があればよい方です。しかし実際には公害は各地に存在し、特に大気汚染の被害者は東京をはじめ非常に多いにもかかわらず、その現実は十分に知られていません。当時も認識と実態の乖離を痛感しました。
1990年代には公害裁判の和解が進み、「地域再生」という考え方が広がりました。単なる環境改善ではなく、住民主体で地域社会そのものを立て直すことが求められました。大阪・西淀川の大気汚染の資料整理に関わる中で「資料館をつくり、伝えてほしい」という被害者の願いを知り、語り部活動にも取り組みました。いくら熱心に伝えても一方的な講話では中学生に響かない経験をし、双方向の学びの必要性を痛感しました。また資料室を設けても地域住民が来館せず、公害のイメージ先行や政治的誤解など、地域内の断絶にも直面しました。
そこでESD(持続可能な開発のための教育)の視点を取り入れ、多様な立場の人々が協力して公害を乗り越えてきた過程を伝える展示パネルを制作しました。しかしパネルを読むだけでは限界があることから、2009年から富山、新潟、西淀川などでスタディツアーを実施しました。ツアーに参加した学生が被害者、行政、企業など多様な関係者に直接話を聞き提案を行う中で、対立していた人々が対話を始める場面も生まれ、学びの場が社会を動かす力を持つことを実感しました。
さらに全国の公害裁判の資料を公開するウェブサイトを開設し、他地域の動きも共有できるようにしましたが、各地が自分たちの地域の経験しか知らない現実も明らかになりました。そこで2013年に公害資料館ネットワークを立ち上げ、公立・民間の壁を乗り越えて交流と協働を進めました。フォーラムや出版活動を重ね、経験を共有する場を広げてきました。
その後、岡山・水島で資料館づくりに関わり、「水島メモリーズ」という冊子を通じて地域の記憶を掘り起こしました。喫茶店や朝鮮学校など身近な題材から語り合うことで、公害を押しつけるのではなく、自分とのつながりの中で考える場をつくっています。現在は修学旅行の受け入れも行い、企業や行政も含めた円卓型の体制で学びの機会を提供しています。
私の活動の原動力の一つは羽仁もと子の「よいことは必ずできる」という言葉で、これを私は信じています。そして自由学園で培った「よく見る、よく聞く、よくする」という姿勢、そして多様な人を信頼する経験が元になっています。公害によって幸せを手にできなかった人たちの無念の声を聞いた経験により、公害を語り継ぎ、人と人を繋いでいくという使命感が生まれました。
最後に、私は皆さんに声を上げることの大切さを伝えたい。東京の空気がこれだけ綺麗になったのは、東京の大気汚染の裁判があって、PM2.5の規制が始まったからです。みんなは今その恩恵を受けています。声を上げたことで社会が変わったという事実のバトンを受け取る勇気を皆さんには持って欲しいと思います。
原子栄一郎さん(東京学芸大学環境教育研究センター)のコメント〈要約〉
小泉初恵さんと林美帆さんからスライドを通して、公害についてお話いただき、多くの新しい学びを与えられました。公害の現場で困難や重荷を抱えながらも活動を続けておられることに感謝をしたいと思います。しかしスライドの内容以上に私の心に残ったのは、二人の「生身の人間」としての姿そのものです。何かを変えたいと思っても、「意味がない」「社会は変わらない」という声に押されて日常へ戻ってしまいがちな私たちにとって、体と心を張って行動する二人の存在は希望であり、皆さんと共にその姿を心に焼き付けたいと思います。
大江健三郎著『「新しい人」の方へ』の最終章「「新しい人」になるほかない」で大江さんは、若い世代に「新しい人」になることを目指してほしいと訴えています。この「新しい人」とは単なる新しいタイプの人間ではなく、対立するものの間に和解をもたらす存在であり、その発想は新約聖書、特にエフェソの信徒への手紙に由来します。イエス・キリストが敵意を滅ぼし、二つを一つにする「新しい人」となったというイメージを、大江さんは人間の再生の象徴として受け取ったのです。
「新しい人」という概念は、環境再生や地域再生、人間再生と重ね合わせることができます。そして、小泉さんと林さんこそが、その具体的な姿を示していると感じます。
私たちは、大江さんが述べている「新しい人」になるほかない。それは新しく生まれ直し、和解をつくり出す存在として生きるということです。まさにそのように生きようとされている小泉さんと林さんの姿を、しっかり心に焼き付けたいと思います。皆さんと共に新しい人になって,もう一つのこの世、水俣の方言で「じゃなかしゃば」っていうそうなんですが、もう一つのこの世、新しい人になる人たちによって創られていく世界を実現していきたいと思います。



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https://youtu.be/gzbxIFwl_ZM
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