「時に海を見よ」その後 第1回 年寄りの冷や水「ライ麦畑でおいかけて」/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 自由学園 最高学部(大学部)/ 最先端の大学教育

「時に海を見よ」その後 第1回 年寄りの冷や水「ライ麦畑でおいかけて」/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 最先端の大学教育【自由学園 最高学部(大学部)】

前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」

「時に海を見よ」その後 第1回 年寄りの冷や水「ライ麦畑でおいかけて」

2015年10月7日

ブログをはじめました。といっても、ブログの意味がよくわかりません。前任校での卒業式の挨拶「時に海を見よ」が、80万回以上のアクセスがあったと、ウィキペディアで紹介されていますが、ネット世界のことがよくわかりません。追いついていこうとは思うのですが、、、、

というわけで、ここで書くことも、何だか世間の流れと外れるような気がしますが、日ごろの読書記録を中心に、身の回りのことを記録できることの幸せを感じながら、綴っていきたいと思います。
私のブログは、年寄りの冷や水です。差し出たふるまいです。冷や水は、若者によく似合いますが、年寄りは腹を壊します。しかし、今でも、時には海を見たくなります。冷たい水も飲みたくなります。

さてその第1回。題すれば、年寄りの冷や水、70歳で読む「ライ麦畑でつかまえて」です。

この作品には、何度もつまずきました。作者サリンジャー、即ち主人公ホールデンの自堕落さ、身勝手な言い訳じみた行為、物言いについていけなかったのです。

きっかけは、ヤクルトスワローズのリーグ優勝です。(正確にはその快進撃です)私は自称「ヤクルト中毒」ですが、村上春樹氏がヤクルトファンであることを知ったからです。(今日は、2015年10月6日です。ノーベル医学・生理学賞に続いて物理学賞でも、日本人の受賞が決まりました。今週、文学賞が村上氏に決まっているかもしれません。)ライトスタンドに村上氏がいるかもしれないと思ったら、この作品が猛烈に近くなったのです。

50年近くになる教員生活、というよりは、長すぎるほどの大人の生活が言わせているのかもしれません。

「今の若いものは変わったね。」私が決まって使ってきたフレーズです。

読み切った後、私はこのフレーズをもう使うまいと思いました。変わったのは自分です。本の中には変わらない青春がありました。

つまずきへの挑戦は、反省ではありません。自戒でもありません。過去への沈黙です。沈黙が体内を、有酸素血液が、青春という名で駆け巡ったのです。

最終章、妹のフィービーが回転木馬にのる場面。つばを後ろに回したホールデンの赤いハンチング帽子、そして少女の鮮やかなオーバーの青い色、電飾に浮かび上る回転の白い木馬。兄に手を振る妹。雨に打たれ、ずぶ濡れになりながら、ホールデンは云います。
「突然、とても幸福な気持になったんだ。本当を言うと、大声で叫びたいくらいだったな。」と。

寅さんが、妹「さくら」に涙し、宮沢賢治が、妹「とし」を鎮魂する光景が錯綜しました。血は乱脈しました。涙が込み上げました。もちろん、年寄りの冷や水の偏った読みです。しかし、「ライ麦畑でつかまえて」は、「男の人生」「心の捕え人」「孤独な若者」「思春期」「いざという時の人」「ライ麦畑の男」「みんな一人で早い者勝ち」「僕とニューヨークとその他」そして、村上春樹訳の「キャッチャー・イン・ザ・ライ」。表題は各国で多様です。多様な読みを各個に求めるものが文学という名に値するのだと思います。

名門私立高校の寄宿舎をドロップアウトした16歳の少年が、先生を訪ねたり、友人と会ったり、娼婦と出会ったり、ガールフレンドに声をかけたり、自宅に妹を訪ねたりしながら、ニューヨーク、マンハッタンの町を、掛け違ったボタンのように3日間彷徨する物語。たぶん、否、絶対、文部科学省非推薦です。しかし、ノーベル文学賞の匂いは確かにします。

なるべく、一週間毎に読書録を取り上げます。

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10月1日朝合同礼拝、前理事長永田氏。戦中の学園。学徒出陣。黙祷。午後朝日新聞東京版「街」シリーズの取材。池袋の魅力、サブカルチャーの発源地と強調。2日夜明日館で講師会。学部の新カリキュラム説明。大きな期待が膨らみます。3日プレリビングアカデミー。開講式。70歳前後の学生が多数参加。目がキラキラしてました。4日ひとり芝居「帰ってきたおばあちゃん」観劇。終戦後、中国残留婦人の実話。戦争が引き裂く悲劇に憎悪。6日病院。尿管結石快癒。巣鴨とげぬき地蔵御礼。塩大福とビールで一人乾杯。

2015年10月7日 渡辺憲司(自由学園最高学部長)

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