第5回 木村荘八のイキ/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 自由学園 最高学部(大学部)/ 最先端の大学教育

第5回 木村荘八のイキ/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 最先端の大学教育【自由学園 最高学部(大学部)】

前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」

第5回 木村荘八のイキ

2015年10月29日

ほとんど使われなくなった表現ですが、「粋で、こうとで、人柄で」という言い方があります。
木村荘八の随筆『現代風俗帖』(1952年刊)を読んでいたら、この表現が出てうれしくなりました。

木村荘八は、永井荷風の「濹東綺譚」の挿絵を書いて人気を博した人ですが、洋画家、随筆家としても知られ、明治・大正・昭和の風俗、ことに庶民の風俗を描いたことで知られています。『現代風俗帖』の挿絵も実に味があります

この場合の粋は、意気地に近いでしょうか。ちょっとやそっとのことで、他人の云うことになびいたりしない強い意志といったところでしょうか。
人柄は、人柄者などと云う云い方もあって、人格、人柄のすぐれた人のことです。人品などと云ってもいいでしょう。品性の高さとでも言い換えましょうか。

問題は、<こうと>です。関西地方の一部では使われているようですが、ほとんど廃れた表現です。「こうとう」の変化した語と云うのが定説です。「こうとう」は、漢字をあてると「公道」です。「とう」は、道の漢音です。
「こうとう」は、キリシタン時代に活用された辞書にも載っていますから、古い表現です。辞書の解説には、「礼儀作法がきちんとしていること。手堅く質素なこと。地味であること。また、そのさま。」などとあります。

辞書的解説を並べると、「意気地があって、礼儀作法がきっちりしていて、地味で、人格者」などとなるのでしょうが、これでは無味乾燥で何がなんだかわかりません。

もう少し具体的な使い方を見ていくと、小栗風葉の「青春」〔1905〜06〕には、「貴族的の公道(コウト)と都会的の葉出(はで)とは」などとあり、質素であることの上に貴族的な上品さが加わるようです。「人柄」も、君子の風格や円満さが加わるようです。

又、木村荘八は、美男美女をほめる言葉として使われていたとも記しています。もう少し外見的なことを、加味して考えるべきかもしれません。
暖かい人柄の上品さを漂わせながら、質素な身なりで、「粋」な感じがする美男美女とでもしておきます。

「粋で、こうとで、人柄で」深くていいほめ言葉だと思いませんか。

「いき」は、派手とは違いますが、人目を引きます。
重層的な感覚ですが、一筋通っているように思います。
そして新鮮でなければなりません。「粋で、こうとで、人柄で」のイメージには、新鮮さが背景にあります。

木村荘八は、「イキ」(木村は仮名表記です)について、あったとしてもそれは幕末の残影で、明治時代に、能動的な積極性はないと云い、江戸時代以降の「新規なイキは(イキは常に新しいものでなければならないが)何処にあるかと云えば、大正期を飛び越して、昭和近代に再現した」と云います。
風俗では、水泳選手、バスの車掌さん、銀座の街角でタクシーを呼び止める若い人のなりふりなどをあげています。これらは女性と限ってはいませんが、木村はもちろん女性たちのことを云っているのでしょう。「キビキビとして美しかつたであらうやうに、美しい生きた(太字強調部分木村 原文では傍点)人が沢山いたものである・・・」とも記しています。

私には、「イキは常に新しいものでなければならない」の一言が心に残りました。

11月13日金曜日から、池袋の明日館で「江戸の粋が未来を変える」と題した公開ゼミが始まります。
詳しくは、/seminar/ を御参照ください。すべての会で、私がナビゲーターを務めます。
「粋」という一筋縄ではいかない概念をまな板にして、「粋」を生活文化として捉えながら、現代そして未来へ語り継ぐべき日本の「粋」を考えます。産業技術大学院大学とのコラボレーションは斬新です。どんな化学反応が起きるか楽しみです。

10月29日から10日間ほど、カナダ・アメリカの大学で講演に参ります。詳細は次の機会、たぶん在米中に記します。

2015年10月28日 渡辺憲司(自由学園最高学部長)

カテゴリー

月別アーカイブ