第6回 吃逆米国加奈陀大学講演旅行/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 自由学園 最高学部(大学部)/ 最先端の大学教育

第6回 吃逆米国加奈陀大学講演旅行/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 最先端の大学教育【自由学園 最高学部(大学部)】

前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」

第6回 吃逆米国加奈陀大学講演旅行

2015年11月11日

10月末から10日間ほど、カナダのブリティシュコロンビア大学(UBC)・アメリカのカルフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)・オハイオ州のシンシナティ大学(UC)の三つの大学でのワークショップと講演に参加してきました。

ワークショップは、約1時間のドキュメンタリー映画「最後の吉原芸者四代目みな子姐さん―吉原最後の証言記録」(英語版)の公開で、制作した安原真琴君(立教大学兼任講師)の解説がつきました。

私の講演は、インディアナ大学のスミエ・ジョーンズ教授と共編した「An Edo Anthology: Literature from Japan’s Mega-City, 1750-1850」(ハワイ大学出版部 2013年)を紹介しながら、サブカルチャーの江戸時代における展開の一例として、黄表紙「江戸生艶気樺焼」(山東京伝作)を取り上げたものです。

映画は、すでに日本でも評判のもので、2010年に90歳で亡くなる直前まで現役で活躍した「吉原芸者 みな子姐さん」を、2005年の夏から2010年の1月まで密着して撮った映像記録です。吉原芸者の芸の精粋とみな子さんの生きざまとを重ね合わせた素晴らしいものです。
私も客の一人として出演?していますが、直接接する機会のあった一人として、吉原で引き継がれた三味線・太鼓・唄などの芸者の本物の芸が、外国で大きな感動を呼んでいたことは、感激でした。

異国の文化への単なる好奇心を越えた本物への敬意と云ったらいいでしょうか。そんな空気が、映画終了後どの会場でも伝わってきました。

私は、上映意図のサポートをする気持ちで同行したのですが、成田から出国する直前から起きだした吃逆(しゃっくり)が止まらず、(バンクーバーの中華街の漢方医の懇切丁寧な処方も効かず)足を引っ張り続けたようです。
それでも何とか講演をこなし、サブカルチャーの実質的な担い手が、江戸時代における識字率の高い女性の教養に支えられたものであること、そして、封建社会の身分或いは貧富の差別の中で、多くの犠牲を強いられながらも、女性のプライド、意気地が日本の文化を形成していったことを強調しました。

「江戸生艶気樺焼」の読みについても、私なりに女性読者の視点を述べたつもりですが、傍証が甘いままで終わりました。この点については、次年度の自由学園の最高学部の授業で、原本の「江戸生艶気樺焼」(変体仮名の授業)・現代語訳「「江戸生艶気樺焼」そして、英文「江戸生艶気樺焼」(Playboy,Grilled Edo Style)を取り上げ、学生諸君(すでに今年の自主ゼミで簡単に取り上げましたが・・)とじっくり考えてみたいと思います。もしかしたら、カナダやアメリカの院生も参加するかもしれません。

終了後の会場でも、多くの方が、去りがたい様子でした。
40年以上もカナダに在住であるという御婦人の、「芸者さんのイメージが変わりました。日本の女性は、もっと自分たちの文化を誇っていいですね。新しく知るというのは素晴らしいは・・」の一言は、胸に残りました。

UBCでは、午前中に、大学院の授業に参加し、持参の花札を取り上げ、12か月の自然描写を解説したり、遊んだりしました。驚いたのは、うろ覚えのルールに私以上に詳しいカナダ人の学生がいたことです。

キャンパス内には、新渡戸記念公園があります。カナダで客死した新渡戸稲造を記念したものです。日本庭園の紅葉が池の水面に静かに影を落としていました。

バンクーバーは海の美しい、緑の濃い、雨の町でした。
ロスアンジェルスは、半袖でサングラスが必要でした。
シンシナティは、オハイオ川に面した歴史のある落ち着いた町でした。

UCLAでは、夕食を院生と一緒しました。
隣の席の院生は、私が下関在住の頃、息子たちと釣りに行った北対馬の比田勝で英語の教師をやっていたそうです。
前の席の院生は、東北の北上で、その隣は津軽で教師を数年間やって、日本の文化に興味を抱いたそうです。
私の通訳をやってくれたカルフォルニア出身の院生は、歌舞伎の役者で名前も持っていました。

「私達は曲がりくねった道を歩いてきました。」とその中の一人の弁。
「だからしなやかに強くなれるんだね」とは私の答え。もちろん日本語の会話です。

研究に必要なのは、最終的には、新たなことへの挑戦の姿勢なのだと再認識しました。

今度の招請は、おもに日米交流基金の援助によるものですが、その中心的役割を担ってくれたのは、UCの日本文化担当の教員です。
彼女はブルガリア生まれで、カナダからやって来た留学生でした。
枕草子の江戸時代及び明治時代の受容がそのテーマです。会場には、二人のお子さんと夫君も来ていました。
彼女を始め、多くの外国人研究者による、長く忍耐強い学問への努力が日本の文化遺産を継承しているのです。
日本人だからわかる日本文化があるように、外側から見ることによって理解される日本文化があります。

文化とは何か。

文化は個々の個性を維持しながら国境・民族を越えるものです。
文化は差別化されるものではありません。
文化の歴史は常に融和を求めてきました。

文化の継承とは、過去を追うものではなく、未来を志向するもの。
そんなことをあらためて考えさせられた旅でした。

吃逆では、各大学関係者に大変御心配をおかけしました。申し訳ありません。
1週間ほども続いた吃逆も、帰国直前に会ったバージニア在住の孫たちの息止め、クスグリ作戦で無事快癒しました。
立冬が過ぎました。燗がうまい季節です。今晩はゆっくり飲ります。

2015年11月10日 渡辺憲司(自由学園最高学部長)

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