第66回 『A TOKYO ANTHOLOGY LITERATURE FROM JAPAN’S MODERN METROPOLIS 1850-1920』/学部長ブログ - 自由学園 最高学部(大学部)/ 最先端の大学教育

第66回 『A TOKYO ANTHOLOGY LITERATURE FROM JAPAN’S MODERN METROPOLIS 1850-1920』/学部長ブログ - 最先端の大学教育【自由学園 最高学部(大学部)】

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第66回 『A TOKYO ANTHOLOGY LITERATURE FROM JAPAN’S MODERN METROPOLIS 1850-1920』

2年前、自由学園最高学部でも講演をしたインディアナ大学のスミエ・ジョーンズ先生から本が届いた。

Edited by SUMIE JONES and CHARLES SHIRO INOUE
『A TOKYO ANTHOLOGY LITERATURE FROM JAPAN’S MODERN METROPOLIS 1850-1920』(UNIVERSITY OF HAWAI’I PRESS 2017)

 

このシリーズでは、2013年刊行の
Edited by SUMIE JONES with KENJI WATANABE
『AN EDO ANTHOLOGY LITERATURE FROM JAPAN’S MEGA-CITY,1750-1850
で少し、お手伝いさせていただいた。

年代的に云うと、今回の刊行は、第3巻目と云うことになる。1750年以前の最終巻にあたるものが、もう一巻刊行されると1600年から1920年までの作品が<上方><江戸><東京>と揃うことになる。来年には刊行されるであろう。
ボストンのハーバード大学のヒベット先生の所で行われたミーティングは2004年5月であった。あれから数えても12年が経過している。それ以前にも打ち合わせを繰り返していたから、本書成立までには15年以上もの歳月を要している。まことに粘り強い仕事である。

今回の第3巻の刊行は、この企画の時代把握の特色を明確に示している。この時代の文学テキストのアンソロジーと云うと、1600年からほぼ1868年の明治元年までのものが一般的である。それに対して、これは東京という場を設定し1920年までとしている。

1920年は、大正9年である。このアンソロジーに取り上げられている、岩野泡鳴と黒岩涙香が亡くなった年である。大正ロマンが絶頂期を迎えながらも、確実に日本は、その浪漫主義の時代から暗い<戦争>への時代へと峠を下り始めていた頃だ。この3年後大正12年には関東大震災を迎える。

明治開化期から醸成されていった自由への希求もこの時期に一つの頂点を迎える。一方、明治の世相は遠くなり、不況は拡大し、自殺者は増大し、国家の全体主義はその束縛を強めていったのである。

この時代だからこそ、自由学園が成立した1921年の意味は問われねばならないであろう。因みに1920年の12月には、学園の自由画の教育の先達山本鼎が北原白秋らと日本自由教育協会を結成している。又、このアンソロジーの表紙絵は、明治の風俗を伝える代表的作品で木村荘八の「牛鍋屋」。荘八は自由学園との関係も深い。このブログの第5回「木村荘八のイキ」でも荘八には触れた。

明治初期の作品も意欲的に所収されている。仮名垣魯文の「安愚楽鍋」(「The Head around a Pot of Beef」)翻訳は角書の「牛店雑談」からのもの。江戸時代最後の戯作者などとも称される万亭応賀、講談師松林伯圓の「鼠小僧」(「Rad Boy」)、著名な三遊亭円朝とともに、あまりなじみのないような落語家春琴亭柳桜の「仇娘好八丈」(「The Bad Girl Prefers Black and Yellow Plaid」もある。)

「Responses to the Age of Enlightenment」
「Crime and Punishment,Edo and Tokyo」
「The High and Low of Capitalism」
「Modernity and Individualism」
「A Sense of the Real and Unreal」
「Romance and Eros」
「The City Dreams of the Country」
「Interiority and Exteriority」
といった章立ても興味深い。

第3章の「The High and Low of Capitalism」には、
河竹黙阿弥の「人間万事金の世の中」(「Money Is ALL That Matters in This World」)
松原岩五郎の「最暗黒の東京」(「In Darkest Tokyo」)
谷崎潤一郎の「幇間」(「The Jester」)とともに、
川上音二郎の「Oppekepe Rap」が訳されている。その冒頭、

「All ye who scorn people’s rights and prosperity Step right up and take a hot swig of liberty! Oppekepe,oppekepo,pepopo!」
「権利幸福嫌いな人に、自由湯をば飲ましたい。オツペケペ。オツペケペッポペポーポー」
<なるほど、ラップダンスか>などとリズムを刻みながら本書を読むのも楽しい。

「Modernity and Individualism」の中に収められた中島湘煙(岸田俊子)を知れば、明治時代の女性解放運動の一端を知る上でも役立つであろう。若松賎子も取り上げられている。所収の高橋お伝なども英訳で読むことによって新しい見方がわいてくるであろう。
岩野泡鳴の没年がこのアンソロジーの終わりの時と重なると記したが、泡鳴の愛人遠藤清子(後に結婚)が、『青鞜』創立メンバーの一人であったことを思い出したりもした。

本書には、伏流水が流れている。それはスミエ・ジョーンズ先生の長きにわたるアメリカでの日本文学研究者の気骨である。心からの敬意と第一巻の完成を待ちたい。(もちろん出来得る限りの協力をしたい。)
インディアナ大学のあるブルーミントンは、その名が示すように今ごろは花盛りの季節であろう。私が行った外国の中でももっとも美しい大学町である。花の香りに包まれたこの季節に新しい文学研究の展開を十分に予想される本書が刊行されたことを心から喜びたい。

イギリスへ帰国した学生から、『AN EDOANTHOLOGY』が、大学の「日本学」のテキストに使われて読んでいたら、懐かしい名前を見つけましたなどと便りをもらった。3年前、アメリカの大学で講演した時も反応があった。この『A TOKYO ANTHOLOGY』も外国の日本文学研究者とくに多くの大学院生によって読まれるであろう。一方、日本の日本文学研究、あえて云えば国文学研究の院生がどれほどの関心を持っているか疑問である。受験で叩き込まれた下二段活用は云えても、所収作品の書名をどれだけ知っているであろうかと考えるとちょっと寂しい。

2017年5月1日 渡辺憲司(自由学園最高学部長)

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