第70回 黒い影・大津島「回天記念館」/最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 自由学園 最高学部(大学部)/ 最先端の大学教育

第70回 黒い影・大津島「回天記念館」/最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 最先端の大学教育【自由学園 最高学部(大学部)】

最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」

第70回 黒い影・大津島「回天記念館」

雑誌『明日の友』の取材で、5月の末に、徳山の港から回天記念館のある大津島に行った。 
大津島は、太平洋戦争末期に、神風特攻隊などと同じく、日本軍の特攻兵器として開発された人間魚雷「回天」の訓練基地があったことで知られている。

「回天」は、人間が乗る大型魚雷の特攻兵器、全長14.5m・直径1mの筒状の魚雷に一人乗りの空間を設けたもの。停泊中や航行中の艦船などに体当たり攻撃を加えた。自爆<必死>を前提とした狂気の作戦だ。 
戦死者の平均年齢は21.1歳。 
回天記念館で出撃した隊員の遺影、遺品を見た。
 
昭和20年1月12日に大津島から出撃し北太平洋西岸グアムで回天に乗り、戦死した本井文哉さん19歳が、弟文昭さん5歳に書き残した遺書が展示されていた。全文カタカナ、死の2日前に弟の絵を見ながら書いたものだ。 
「(前略)フミアキハ オヂイサマ オトウサマ オカアサマオネイサマノオッシャルコトヲヨクキイテ ヨイコニナラネバナリマセン。ヨクベンキョウシテ ツヨイコニナッテクダサイ ソレガニイサンノカタキウチニナルノデス。コノコトハフミアキガオオキクナッタラワカリマス。ソレマデハ ケシテビヤウキナンカニカゝラヌヨウニ カラダニキヲツケテクダサイ。ニイサンハイマ フミアキガカイテクレタ ヒコウキトグンカントセンシャノエヲミテイマス。モウニイサンハ フミアキニテガミヲアゲラレナイケレドモ フミアキハサビシガラナイデクダサイ(中略)フミアキ サヤウナラ ニイサンヨリ フミアキサマヘ。」

現在アメリカで公認会計士として活躍している文昭さんと妹の昌さん(当時17歳)が遺品を携え記念館を訪れた時のことを松本館長が話してくれた。 
「文哉さんは、出撃の20日前に新潟の実家に帰ったそうです。出撃の事は何も語らなかったそうですが、昌さんが、「今度いつ帰るの」と云うと、文哉さんは「中尉かな、大尉かな」と語ったそうです。昌さんは戦死による昇進を意味していると何となく察し家を出る兄の足にしがみついて泣いたそうです。遺書は終戦後に届き、幼い文昭さんはゆっくりたどりながら読んで泣いたそうですよ」 
「家族を守ろうとして死んだんですよ。若い人には時間を大切にしてほしいですね。戦争は絶対にしてはならない。戦争に理由なんてありませんよ。」
記念館の前、強い日差しを受けながら、隊員の墓碑碑の黒い影が海を見ていた。

坂を下りトンネルを抜けると魚雷発射試験場跡に出る。
魚雷はトロッコに乗せられ天井クレーンで穴から海面に降ろされた。トンネルに今も鉄路の跡が残る。試験場から波穏やかな静かな海と青空が広がっている。死に逝く若者たちもこの海と空を見ていたのだ。 
小さな魚が海の上ではねている。トンネルの中のパネルに書いてあった遺言が浮かぶ。「お父さん お父さんの髭は痛かったです。お母さん 情けは人の為ならず 和ちゃん 海は私です。」和ちゃんは誰か知らない。愛する人であるのは確かだ。 

山口県立美術館で香月泰男の「シベリア・シリーズ」を見た。2004年東京ステーションギャラリーで没後30年展の香月の作品を見て以来、私はこの絵に憑かれた。「シベリア・シリーズ」は1945年の敗戦でシベリアの収容所に送られた記憶を描いたものだ。香月の絵ほど原画と複製画の違いのあるものはない。立体的に重ねられた黒い絵の具をどう見るか。本物を見なければ絵を語ることは出来ない。香月の使う黒は美しい。暗い黒の絵が何故美しいのか。それが少しわかったような気がした。香月の黒は死の影ではなく、生の影だ。 
その影を追いかける責任が我々にあることは確かだ。 
「誰だ。平和への犠牲を忘れ出撃命令を出すのは・・」 

2017年6月17日 渡辺憲司(自由学園最高学部長) 

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