第73回 『江戸遊里の記憶-苦界残影考』刊行/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 自由学園 最高学部(大学部)/ 最先端の大学教育

第73回 『江戸遊里の記憶-苦界残影考』刊行/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 最先端の大学教育【自由学園 最高学部(大学部)】

前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」

第73回 『江戸遊里の記憶-苦界残影考』刊行

2017年7月18日

6月の末に、ゆまに書房(ゆまに学芸叢書ULULA12)から、『江戸遊里の記憶-苦界残影考』を出版した。
2013年に刊行した『江戸遊女紀聞-売女とは呼ばせない』(ゆまに書房)は、「遊女」個人の生き方に焦点を当てようとしたものだが、これは「遊里」に焦点を当てたもので、前著の続編のようなものだ。
とはいっても、遊女と遊里は切っても切れない関係にあるのだから、重複する部分も多い。前者が、よく知られた遊女に焦点を絞ったのに対して、<場>を考えることによって、そこに生きた遊女の生活を浮かびあげることが出来るのではないかとも思った。
『東京人』(都市出版)の特集号で書いたものや『国文学 解釈と鑑賞』(至文堂)などに書いたものなどを集めたものである。又、1994年に刊行した『江戸遊里盛衰記』(講談社現代新書)に所載したものもあるが、東日本大震災の影響で壊滅した遊郭や大門など、その時に取り上げた現状も記載した。

取り上げたおもな遊里を羅列的にあげておく。
吉原・柳橋・秦淮(南京)・新柳町(博多)・穴切(甲府)・栄町(新潟高田)金津(岐阜)・二葉(浜松)・白石(札幌)・鹿沼(栃木)・田町(八王子)・洲崎・久保(尾道)・清水(小松)・郡山(福島)・千住・板橋・新宿・品川・串茶屋(石川)・院内(秋田)・山ケ野(鹿児島)・直方(福岡)相川(佐渡)・城端(富山)・田助(長崎)・平潟(茨城)・福浦(石川)・能代(秋田)・鍬ケ崎(岩手)・小中野(八戸)・・・。
これに、『江戸遊女紀聞』で取り上げた、中山(宮城)・稲荷町(下関)新町(大阪)・島原(京都)・軽井沢(長野)・三国(福井)・御手洗(広島)・函館・五箇山(富山)・辻(那覇)など・・・。

さらに、対馬・奄美・横浜など、今まで俎上にすることのできなかった遊里を加えれば、かるく100以上の遊郭跡を訪ねたであろう。繁華街の裏街にその面影の残った所もあったが、多くは遊女の墓のみであったり、草ぼうぼうの荒れ地であった。

私の地方遊郭研究は、面影に思いを寄せたり、体験などを語るといった方法とは違う。
出発は『下関市史』民俗編に稲荷町の歴史を書いてみないかという、考古学・民俗学の泰斗、故国分直一先生の勧めが最初であった。近世大名と周辺の文芸家の活動に興味を持ち、そのテーマで博士号を申請していた自分にとって真逆の方向でもあった。
日本でもっとも古い遊女町下関の稲荷町の近くに赴任したことも拍車をかけた。岩波の新日本古典体系の「仮名草子集」の注釈を終え、その時参考にした大著『色道大鏡』の諸国遊里の記述にも強く興味が引かれた。
研究調査旅行などと嘯いていたが、旧遊郭の艶めかしいバーのカウンターで酔い瞑れたことも2度や3度ではなかった。年老いた温泉芸者の三味線の音に聞きほれて江戸を感じたこともあった。

本書の「はじめに」では、古今亭志ん生の「お直し」を取り上げた。志ん生の落語に<文化>を感じたからだ。
歴史への興味がわいたのも遊女研究が窓口になった。遊郭という窓で歴史を見ることによって、日本という国の特有の人権問題や社会的性差、ジェンダーの抱える問題が見えてきたことも事実だ。昭和33年の売春防止法施行後の女性たちの長期保護施設「かにた婦人の村」(館山市)のこと、村の丘の上にある「噫 従軍慰安婦」の碑のことも、どうしても「あとがき」に書き加えたいと思った。

あとがきに一句を取り上げた。      
「闇の夜は吉原ばかり月夜かな」
榎本其角の句として、よく知られた句だ。二様に解釈ができる。
「闇の夜は」で切ると、今自分は闇夜にいて、月も見えないが、吉原では煌々と明かりがついて月夜のようだと解釈できる。「闇の夜に」とよんだとする説もこの解釈だ。
一方、「闇の夜は吉原ばかり」で切ると、この明るい月夜に吉原だけは闇夜のようだと云うのである。
所謂「聞き句」とされる句で、聞き手である鑑賞者の考えで解釈が正反対になるような遊戯的手法の句だ。
夜間の営業を許された頃不夜城となった吉原、漆黒の闇夜に鰯油を惜しげもなく使う灯火の宴を思い描いているのか。
煌々とした月夜の晩、春を鬻ぎ己の幸せを求めず、家族のために苦界に身を沈めた遊女たちの闇を記すのか。
遊女たちのことを考えた時、脳裏にその二つの場面が交差する。

闇のみを見ていたならば、遊里文学のもつ文学の質を理解することは出来ない。宴の記憶を記さなければ、吉原が、遊郭が培ってきた文化を伝えることは出来ない。
しかし、光のみ見ていては、遊女の背後にある真実にも、繰り返してはならない歴史にからも逃避することになるであろう。吉原を流す哀切な新内も聞こえまい。
光の底に闇を見て、闇の中に光を追う。両方を私なりに抱え持たなければと思う。非力な自分に抱えきれない大きく重い課題であることも知っている。右往左往しながら、研究を進める以外に道はない。
本書で苦界に闇を、残影に遊郭文化の光を垣間見たつもりである。

2017年7月16日 渡辺憲司(自由学園最高学部長)

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