第79回 浪江町請戸の浜/最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 自由学園 最高学部(大学部)/ 最先端の大学教育

第79回 浪江町請戸の浜/最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 最先端の大学教育【自由学園 最高学部(大学部)】

最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」

第79回 浪江町請戸の浜

今年3月31日に避難解除された浪江町請戸を訪ねました。
9月1日7時上野発ひたち1号に乗車。常磐線竜田駅着は10時5分。竜田で原ノ町駅行きの代行バスに乗り換え、10時55分浪江駅に着きました。浪江駅までのバスはこれに乗り遅れると20時10分までありません。原ノ町行きはこの一本です。昨年6月も浜通りを訪ねましたが、その時はほとんどタクシーでした。この時のことは、第36回の本ブログ「原発事故「不可不知之記」」で書きました。

バスは座れないほどではありませんが、だいぶ混んでいました。大型観光バスと云った感じです。狭いですがトイレもついています。前の方には放射線量を示すパネルがあります。
竜田駅を出るとすぐに車掌さんから注意がありました。
「帰還困難区域を通り、放射線量が多くなりますので窓を開けないようにしてください。窓からの撮影は結構ですが、バスの中での撮影は御遠慮ください。」と。

「百合の花が咲いてるわ」と云ったきり同行の妻の長い沈黙が続きます。
大型スーパーの破れたままの窓。大型紳士服店の窓からは、つるしたままの服が見えます。大きなパチンコ店の椅子がひっくり返っています。教会のような、宮殿のような結婚式場の前を通った時、後ろの席で声がしました。並んで座っている人に話しかけているようです。
「甥っこがここで結婚式あげたんだ。披露宴は200人も超えたよ。酒樽も用意して、飲みすぎてさ・・」少し酔っているようでした。締め切った窓で逃げ場を失ったアルコールの匂いがしました。

「がんばろう富岡」といった看板。
「今を生ききる」と云った看板もあります。

浪江駅の前には、佐々木俊一が作曲した「高原の駅よさようなら」の歌碑があります。信号機の前に立つと小畑実が歌うこの曲が流れます。
「しばし別れの夜汽車の窓よ  云わず語らずに心とこころ  またの逢う日を目と目で誓い  涙見せずにさようなら・・」
佐々木が浪江町出身だという縁によるものです。
浪江は高原の町ではありません。農業も盛んでしたが、請戸の浜を中心とした漁業の町でもありました。
駅前の商店街。6年間の放置に先は見えません。

凄惨な放射能汚染の傷痕は生々しく今も続いています。
津波に襲われた町との違いを直視すべきです。

駅の近くで、家庭菜園を耕している夫婦を見かけました。戻ってきた人はゼロではありません。散り散りになった夢をもう一度集めている人がいます。避難指示解除対象地域の帰還人数は、1パーセント台だそうです。

請戸の浜を見下ろす、大平山霊園に行きました。津波で犠牲になった人の真新しい墓です。墓碑銘には3月11日の文字と各家の墓には地蔵が並んでいます。広島の平和公園の裏手の寺の墓の事を思い出しました。
福島の現代詩人、二階堂晃子の詩「生きている声」の一節です。

救助隊は準備を整えた
さあ出発するぞ!
そのとき出された
町民全員避難命令
うめき声を耳に残し
目に焼き付いた瓦礫から伸びた指先
そのまま逃げねばならぬ救助員の地獄
助けを待ち焦がれ絶望の果て
命のともしびを消していった人びとの地獄
請戸地区津波犠牲者一八〇人余の地獄
それにつながる人々の地獄
放射能噴出がもたらした操作不可能の地獄
脳裏にこびりついた地獄絵
幾たび命芽生える春がめぐり来ようとも
末代まで消えぬ地獄

 

請戸小学校

請戸小学校

浜に立つと、福島第一原発の排気筒の高い煙突が見えます。その煙突の手前に請戸小学校がありました。大きな小学校です。展望台でしょうか。モニュメントでしょうか。浜辺までは400メートルほどですが松林に覆われて海が見えなかったそうです。子供たちは、この展望台にあがって海を見ていたのです。壁面の時計は、午後3時38分で止まっています。校舎には立ち入ることが出来ません。

校舎内の写真が入口に掲示してありました。教室の黒板には、「天は乗り越える試練しか与えない。頑張れ請戸」「福島県警察」「陸自 未来を信じて 日本 請戸 陸上自衛隊44連隊」などといった大きな文字にまじって「卒業式の練習が始まります」の連絡が書かれています。津波発生時、2年生以上の全児童81人、教職員13人は、大平山の麓に逃げて無事でした。奇跡とも呼ばれています。

漁港には新しい船が数艘繋がれています。今年の2月には大漁旗をはためかせて避難先から帰港したことが報じられています。
台風の影響でしょうか海は荒れていました。

駅までのタクシー、運転手さんがしきりに「ここはカリカリ、ここはカリカリカリかな」とビニール袋を見て言います。何のことか理解出来ませんでした。放射能汚染廃棄物の袋の仮置き場、その又仮置き場、その又カリカリカリ置き場のことです。

帰路、常磐線。昨年6年ぶりに復活営業を始めた「双葉ラーメン」を小高で食べました。
今、私に出来ることは福島の米を食べ、福島の酒を飲むことです。
毅然とした原発反対と福島ファーストの支援が今こそ必要です。

今日9月6日、東京電力が再稼働を目指していた柏崎刈羽原発の安全審査は議論を終え、早ければ13日にも事実上の合格証「審査草案」を了承する見通しとなったとニュースが伝えています。この原発は、請戸の浜から見えた福島第一原発と同じ型の「沸騰水型」のものです。
又、夜7時のNHKニュースは、福島大学などの研究グループが、福島第一原発が立地する双葉郡の住民を対象にアンケート調査を行い、無職の人が6割を越え、生活再建が進んでいない実態を浮き彫りにし、生活年齢の15歳から64歳では、事故前の3倍を超えているそうです。

これでもこれでも又仮仮置き場を増やしていくのですか。

 

2017年9月6日 渡辺憲司(自由学園最高学部長)

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