第116回 『サンタクロースっているんでしょうか』/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 自由学園 最高学部(大学部)/ 最先端の大学教育

第116回 『サンタクロースっているんでしょうか』/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 最先端の大学教育【自由学園 最高学部(大学部)】

前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」

第116回 『サンタクロースっているんでしょうか』

2018年12月25日

今から約120年前の話です。ニューヨークの西95丁目115番地に住む、8歳の少女がニューヨーク・サン新聞に投書しました。少女の名前はヴァージニア・オハロン。彼女は、友達に「サンタクロースなんていないんだよ」と云われ、新聞社にその答えを求めたのです。新聞社は1897年9月21日の社説で少女の質問に答えます。書いたのは、フランシス・P・チャーチという若い記者です。
日本で何時の時代から読まれたのかは知りません。よく知られている中村妙子さんの翻訳の『サンタクロースっているんでしょうか』が、最初に偕成社から出版されたのは1977年です。昨年までに同社から、121刷を出し、新聞などでも多く取り上げられています。
中村さんの訳はすぐれた意訳ですが、今回取り上げたのは、青空文庫所収の大久保ゆうさんの訳です。
翻訳本は、子供向けにほとんど仮名ですが、引用は漢字まじりで紹介します。

チャーチは、「それは友達の方が間違っているんだよ。」と切り出します。そして断言します。
「実はね、ヴァージニア、サンタクロースはいるんだ。愛とか思いやりとかいたわりとかがちゃんとあるように、サンタクロースもちゃんといるし、そういうものが溢れているおかげで、人の毎日は、癒されたり潤ったりする。もしサンタクロースがいなかったら、ものすごくさみしい世の中になってしまう。ヴァージニアみたいな子がこの世にいなくなるくらい、ものすごくさみしいことなんだ。
サンタクロースがいないってことは、子どもの素直な心も、作り事を楽しむ心も人を好きって思う心も、みんなないってことになる。見たり聞いたり触ったりすることでしか楽しめなくなるし、世界をいつもあたたかくしてくれる子どもたちの輝きも、消えてなくなってしまうだろう。」

サンタクロースの存在は、子供の輝きや暖かさと同じものだと云います。子供の存在をどう考えるか、そのことについては、前回の115回のブログで聖書を引用しながら少しく述べています。<天国で一番偉いのは子供だ><神の国とは幼な児の心を持った者のものだ>と述べた考えと同じです。子供の感性ほどに羨ましくもそして大切なものはありません。置き忘れた気高い宝石です。どの時点かで覆い隠されたのです。サンタクロースの存在は子供の心そのものなのです。続きます。

「サンタクロースがいないだなんていうのなら、妖精もいないっていうんだろうね。だったら、パパにたのんで、クリスマスイブの日、煙突という煙突全部を見張らせて、サンタクロースを待ち伏せしてごらん。サンタクロースが入ってくるのが見られずに終わっても何にも変わらない。そもそもサンタクロースは人の目に見えないものだし、それでサンタクロースがいないってことにもならない。ほんとのほんとうっていうのは、子どもにも大人にも、だれの目にも見えないものなんだよ。妖精が原っぱ遊んでいるところ、誰か見た人っているかな? うん、いないよね、でもそれで、ないってきまるわけじゃない。世界で誰も見たことがない、見ることが出来ない不思議なことって、誰にもはっきりとはつかめないんだ。」

サンタクロースという言葉は、「神様」と置き換えることが出来るでしょう。煙突を見張る話は、復活の話に似ているかもしれません。神様は存在するのか、存在しないのか。イエスは存在するのかしないのか。原始キリスト教の実際は如何なるものであったか。聖書考古学の実態は我々に何を示唆するのか。神様が、イエスが2000年ほど前に実在していたんだと云う話よりも、「クリスマスイブの日、煙突という煙突全部を見張らせて、サンタクロースを待ち伏せしてごらん。サンタクロースが入ってくるのが見られずに終わっても何にも変わらない。そもそもサンタクロースは人の目に見えないものだし、それでサンタクロースがいないってことにもならない。」という話は私には真実を語っているように思えてなりません。見えるとか見えないとかいうことではありません。触ることが出来るとかできないとか、聞こえるとか聞こえないとか、云うことではありません。本当のことは、見えなくても聞こえなくても触れることが出来なくても匂うことが出来なくても、あらゆる伝達感覚が停止したとしても、伝わるものなのです。あらゆる宗教に共通の祈りの真実とはそのようなものだと思うのです。少女へのメッセージは続きます。

「あのガラガラっておもちゃ、中をあければ、玉が音をならしてるってことがわかるよね。でも、目に見えない世界には、どんなに力があっても、どれだけ束になってかかっても、こじ開けることの出来ないカーテンみたいなものがかかってるんだ。素直な心とか、あれこれたくましくすること・したもの、それから、寄り添う気持ちや、誰かを好きになる心だけが、そのカーテンをあけることが出来て、その向こうのすごくきれいで素敵なものを、見たり描いたりすることができる。うそじゃないかって? ヴァージニア、いつでもどこでも、これだけはほんとうのことなんだよ。
サンタクロースはいない? いいや、今このときも、これからもずっといる。ヴァージニア、何千年、いやあと十万年たっても、サンタクロースはいつまでも、子どもたちの心を、わくわくさせてくれると思うよ。」

近代の文化は、明らかにすることに懸命です。解明することが使命のようです。しかしそれが、一方で寄り添う心を、素直な心を失っていることも確かです。サンタクロースと私たちの間には、「こじ開けることの出来ないカーテンみたいなものがかかってる」のです。大切にしなければならないものです。

次の部分は、英文をあげておきましょう。
「Only faith, poetry, love, romance, can push aside that curtain and view and picture the supernal beauty and glory beyond.」
この部分の中村さんの訳です。
「ただ、信頼と想像力と詩と愛とロマンスだけが、そのカーテンをいっときひきのけて、幕の向こうの、たとえようもなく美しく、輝かしいものを、見せてくれるのです。」

もちろん私は、ここで翻訳の違いを論ずるつもりはありません。
今私に投げかけられているのは、「faith, poetry, love, romance,」の意味を追いかけることです。
それはもちろん未来につながる永遠の課題です。そしてそれを私が過去にたしかに持っていたことだけはたしかなのです。
サンタクロースを待っていた夜に・・。イエスの降誕を祝う日に・・。

 

2018年12月24日夜 渡辺憲司(自由学園最高学部長)

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