第136回 「毎日新聞夕刊 私だけの東京」/最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 自由学園 最高学部(大学部)/ 最先端の大学教育

第136回 「毎日新聞夕刊 私だけの東京」/最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 最先端の大学教育【自由学園 最高学部(大学部)】

最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」

第136回 「毎日新聞夕刊 私だけの東京」

2019年10月3日

毎日新聞2019年10月2日夕刊に掲載された記事を、新聞社に了解を得て転記します。

記事タイトル:
「私だけの東京・2020に語り継ぐ」
~日本文学研究者・渡辺憲司さん マイナーに優しい池袋~
略歴 1944年生まれ。
自由学園最高学部長。立教大名誉教授。文学博士(九州大)。
立教新座中学・高校校長時代の卒業メッセージ「時に海を見よ」が話題に。
近著に「いのりの海へ」。

 

撮影:中澤雄大

故郷の北海道・函館から上京したのは高校卒業を間近に控えた1963年1月でした。戦前、地元で新聞社を経営していた父親が2カ月前に亡くなり、母親と2人で上京、蒲田警察署そばの家へ越したのです。姉夫婦が住んでいた平屋建ての家でした。だだっ広かった函館の家に比べて、随分とこぢんまりして「落ちぶれたなあ」と子供ながらに思ったものでした。当時の函館は北洋漁業にまだ活気があって、ハイカラな街でした。一方の蒲田は戦後の闇市の雰囲気が残り、混沌(こんとん)としていましたね。

浪人が決まり、高田馬場の予備校まで通うため、毎朝慣れない満員電車に揺られましたが、中学時代の東京への修学旅行での乗車練習が大いに役立ちましたね(笑い)。教育熱心な母は「教員を目指せ」と東京教育大を勧めたけれども、池袋の立教大に進学することになりました。駅前の猥雑(わいざつ)な空気が漂う自由市場を抜けると、ツタの絡まる美しいチャペルが見えましたが、「似たような洋風建築は函館にもある」と思ったものでした。入学したのは東京五輪開催の64年です。でも、ほとんど記憶に残っていません。勉学には身が入らず、大学そばのジャン荘通いの日々でしたね。日韓基本条約締結に反対する学生デモに参加したこともありましたが、基本的にはノンポリでした。

そのうちに高校時代の友人に誘われて、浅草の劇場「浅草ロック座」で照明係のアルバイトを始めました。踊り子さんが美しく映えるようにライトを当てる難しい仕事です。座長が同じ北海道出身の芸人で、後にビートたけしさんの師匠となる深見千三郎さんで、かわいがってもらいました。「バカヤロウ」が口癖で「オメエ、おもしれえから出ろ」って、ストリップの合間の劇に出演したこともあります。将来は構成作家になりたいと考えたこともありましたが、キャンパスからは相変わらず足が遠のいていました。

大学2年の時に参加した学生キリスト教青年会で、新約聖書研究の大家である速水敏彦先生と知り合い、このまま法学部の専門課程に進んでいいものかと相談したら、「お前の人生なんだから好きにやればいい」って。目を開かされた思いで、日本文学科へ進もうと決意しました。元々、近世の江戸文学が好きで、中でも人間の営みと哀れを描いた井原西鶴の浮世草子「好色一代女」に強くひかれていました。これが将来の研究への道につながるとは、まだこの時は夢にだに思っていませんでした。

運良く文学部への転部が認められて、勉学に励むようになりました。時々、池袋演芸場で息を抜き、(三代目古今亭)志ん朝師匠らの話芸を楽しみました。江戸の庶民文化、郭噺(くるわばなし)が好きだったんですね。父との別れを書いた私小説が大学新聞の選外佳作に選ばれ、文芸評論で高名な駒田信二先生に評価してもらったことも良き思い出です。時代はベトナム反戦運動が盛んで、ルポライターにも憧れましたが、結局、大学院へ進学しました。キャンパスがロックアウトされても、学外の自主ゼミで猛勉強。もう浅草や吉原をブラブラする余裕はなかったなあ。

先行き不透明な時期でしたね。博士課程時代に大学の同窓生と結婚し、横浜市立商業高の定時制で教えました。教育者としての原点です。今も当時の教え子たちとは裸の付き合いをしています。その後、私立武蔵中学・高校の国語教員となり、池袋に近い江古田の街に通いました。受験に関係ない変体仮名を教えるなど放埒(ほうらつ)な教師でしたが、生徒から「ベケン」と、あだ名で呼ばれた6年間は懐かしいですね。やがて山口県下関市の梅光女学院大短大部(現梅光学院大)に転じ、各地の遊里研究などに10年間励みました。

昭和の終わりに母校の助教授として池袋に戻り、長く教壇に立ちました。まさにホームタウンです。現在奉職する自由学園の歴史的建造物「明日館(みょうにちかん)」(重要文化財)も立教の近くにあります。振り返れば、この街には格式張らない良さがあります。メインにはならないけれど、庶民の強さがある。地方出身者にも優しい。芸術文化に理解があり、サブカルチャーの拠点でもある。周縁部、マイナーな部分を大事にする感覚が、私の土壌となってくれた気がします。
【聞き手・中澤雄大】

2019年10月3日 渡辺憲司(自由学園最高学部長)


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https://mainichi.jp/articles/20191002/dde/012/040/009000c

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