第148回 休校おすすめ読書1-漫画『風雲児たち』/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 自由学園 最高学部(大学部)/ 最先端の大学教育

第148回 休校おすすめ読書1-漫画『風雲児たち』/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 最先端の大学教育【自由学園 最高学部(大学部)】

前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」

第148回 休校おすすめ読書1-漫画『風雲児たち』

2020年4月8日

休校期間中、おすすめの読書を勝手にあげておくことにした。まったくの自己流、たまたま私の机の周辺にあったものを取り上げるといった無責任なものだ。

第一にあげるのは、『風雲児たち』。江戸時代を通観するにはこの作品がもっとも適当なものだ。
原作みなもと太郎。作者のみなもとさんとは、私が編集責任をした平成17年(2005年)1月発行の『江戸文学とサブカルチャー』(至文堂)で対談をした。その縁で今年(2020年)2月にリイド社から刊行された『幕末編 風雲児たち』第33巻の帯に宣伝文を書かせてもらった。

この作品の第一部が登場したのは、昭和54年(1979年)7月刊行の『月刊少年ワールド』だ。何と40年もの間、読者の心をとらえてきたのだ。2018年には、三谷幸喜脚本、NHK正月時代劇で『風雲児たち―蘭学革命篇』が上映、翌年には歌舞伎座でも上演されている。
本作の特徴のひとつは、地方史などの最新の成果を取り込み広い範囲での史料にもとづいて書かれていることだ。それは教科書をなぞったような学習参考書漫画とは異なったものだ。
例えば、田沼時代。私が日本史を習った頃は、賄賂の横行する悪役と云えば田沼意次であったが、そんな一方的評価は影をひそめている。むしろ文芸活況期とも言うべき時代である。

『風雲児たちの』の面白さは、目線である。漫画ならではの、視線がここにはある。歴史家の客観性が見落した庶民の鼓動、空気がある。歴史小説家の視線とも異なった画像による想像力がある。読者は登場人物のイメージに引きずられていく、歴史を学ぶと云うだけではない、感情同化というべきなのだろうか、登場人物との一体感が生まれる作品だ。そしてそれが劇化とは異なった、笑いという操作の中で、感情を異化する<漫画>であることによってほど良い距離を保っているのだ。

学生、生徒にはまずこの辺りから江戸時代の歴史に興味を抱いてほしいと思う。もちろん若い人たちばかりではない、漫画はちょつとついていけないんだよ、という方にもおすすめである。全巻まとめて買うのは、ちょっと大変だが、その価値は十分だ。

全巻の中で、やはり秀逸なのは、幕末編である。登場人物のキャラクターが漫画から立ち上がってくる。
中でも、私が引き込まれていったのは、高野長英だ。シーボルトの塾では、医学・蘭学を学び、抜群の才気を発揮塾頭となり、ピタゴラスからガリレオ、ジョンロックにいたる西洋哲学史を要約した人物、渡辺崋山らとともに天明大飢饉の対策を叫び、異国船打払い令で幕府を批判、蛮社の獄で伝馬町の牢に入れられるが、火災に乗じて脱獄、死罪を申し渡されるも、顔を硝酸で焼き変装し、逃亡を重ね、ついに江戸で捕縛され、護送の途中で死んだ(自殺?)とされる人物。
読んだ後その長い顔がしばらく離れなかった。傲慢な性格の長英が、「権力者の庇護なんかを信じた俺は大バカヤローだ・・・」「損得抜きで命がけで助けてくれるのは無名の人たちばっかりじゃねェスか」と云ったセリフ(第20巻 第5章「男泣き長英」)も覚えている。江戸時代最高の外国語の天才の、「ばっかりじゃねェスか」という細かな東北弁表現も面白かった。
水沢(奥州市)の高野長英記念館で実際の肖像画を見て、漫画の長い顔そっくりに驚いたことや、逃亡先の宇和島まで行き、鯛茶漬けを食べたこともあった。東京南青山の「高野長英隠れ家」の碑を探し回ったことも思い出す。

丸っこい顔に描かれた、北方探検家最上徳内も忘れられない。山形県楯岡にある最上徳内記念館にはまだ行っていない。徳内や間宮林蔵そして高田屋嘉兵衛らの北方への夢に強く惹かれ、その追っかけを決意し、千島・樺太行きを企てたのも本書を読んでからだった。(カムチャッカは行ったが・・・)その夢もまだ捨てていない。

コロナ感染症がなりをひそめ、旅が自由になった時の歴史散歩のマーカーに最適の書と云ってもよいであろう。

 

2020年4月8日 渡辺憲司(自由学園最高学部長)

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