第167回 忘れてはならない数字―子供の幸福度/最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 自由学園 最高学部(大学部)/ 最先端の大学教育

第167回 忘れてはならない数字―子供の幸福度/最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 最先端の大学教育【自由学園 最高学部(大学部)】

最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」

第167回 忘れてはならない数字―子供の幸福度

2020年11月27日

明日をも知れぬコロナによる災禍の大きさが、昨年までの不幸な統計的事実を忘れ去っていくような気がしてならない。ここ3ケ月間ほどの気になる数値の結果報告だ。

2020年、9月3日、ユニセフ、イノチェンティ研究所は、先進38か国における「子どもの幸福度」総合調査ランキングを発表した。子どもとここで呼ぶのは、5歳から18歳。日本は昨年より順位を下げて20位。1位オランダ、2位デンマーク、3位ノルウェーだ。

調査は3分野からなる。第1分野、身体的健康度は世界1位。健康状況に恵まれている証左だ。2分野は、スキル。学力・職業適応力だ。これは27位。社会的スキルに自信を持っていないということだ。

驚くべき結果は第3の分野、精神度の幸福調査だ。

これは生活満足度、自殺率などが基準。分野で日本は37位だ。先進国中最下位の一つ前。幸福度。肉体的には第1位、精神的には最下位水準。

私はこのアンバランスに改めて驚いた。

世界中でもっとも悲しい思いをしている子供たちが多いのは日本なのだ。

アンケートに調査の不備を挙げる人もいる。例えば、調査対象の主な子供が15歳、高校入試の直後、落第した人は悲しい思いをしているのではないか。日本人は幸せを実感できない心性をもっているのだとか・・。

しかし、そんな言い訳で自己正当化していては前に進みようがない。退歩を続けるばかりだ。

日本の子供の状況を直視してみよう。2020年10月23日の発表によると、2019年度に自殺した小中学生と高校生は317人であった、これは最も多かった2018年度の332人から減ったものの、2年連続で300人を超えた。(文部科学省の調査)内訳は、小学生が4人、中学生が91人、高校生が222人であった。又、全国の児童相談所が受けた児童虐待件数は、2018年度には過去最高の15万9,850件に達して、大きな話題になったが、今年11月10日の発表によれば、2019年度はさらに約4万件増加し19万3740件だ。(2020年11月10日の日本経済新聞)

一言で言おう。日本の子供の状況は不幸な状況だということだ。

少し話を変えよう。ほぼ百五十年前の日本、幕末、安政の時代。安政2年(1855年)大地震(江戸圧死者10万人)・同3年大暴風雨(江戸死者10万余)・同5年コレラ第一次襲来(死者4万人超)。

安政期の悲劇的状況は現代<今>と酷似している。

この頃多くの外国人が日本にやってきた。その外国人たちが驚いたのは、子供の顔に仕合せがあふれていることだった。

コレラ襲来の1年前、安政4年、オランダの軍人カッテンディーク(勝海舟の海軍教育士官)は、「一般に親たちはその幼児を非常に愛撫し、その愛情は身分の高下を問わず、どの家庭生活にもみなぎっている。」その4年前、ペルリも、「日本は子どもが大切にされている国」だと記した。

安政期から約20年後明治10年(1877)、コレラが又日本中に蔓延した。この時に来日したアメリカの考古学者モースは、「世界中で日本ほど、子供が親切に扱われているところはない。」と述べた。翌11年、イギリスのイザベラバードは、東京から北海道まで旅し、「私はこれほど自分の子供に喜びを覚える人々を見たことがない・・他人の子供にもそれなりの愛情と注意をそそぐ、自分の子供に誇りを持っている。」と記している。

もとよりこれらは印象、体感批評に過ぎない。当時、一部貧困な農村では人買いが日常化し、間引きも行われ、幼児死亡率も高い比率を示していることも知っている。能天気に外国人の印象をうのみすることはできない。

しかし、少なくとも、約150年前の日本の子供が世界最低水準の不幸な精神を内包しているなどとは考えられないのだ。

日本は、150年という近代化の中で、子供の笑顔をむしばんで進歩して来たのだ。子供しあわせを踏みにじりながら豊かになってきたのではないか。

そのことにまず我々は気付くべきであろう。「七歳までは神の子」という古いことわざが日本にはある。7・5・3の行事にもそれは残っている風習だが、何より重要なこの言葉の示唆は、子供が地域の共同体で教育するものだという理念である。前提となっているのは、社会の子供の幸せへの強い希求である。

悪政と呼ばれる、徳川綱吉の生類憐みの令は、犬猫の保護ばかりが目立つが、この法令の肝心なことは、所謂捨子の保護を地域の責任に強い勧告・命令を出したことだ。まさにともに助け合う共助の勧告だ。

子供への愛情は平等でなければならない。それは教育の基盤だ。

教壇で現場に立って50年を超えた。

その間でもっとも苦痛だったのは、定時制高校の教員時代の給食費の徴収だった。未払いの子供に伝達するのもつらい、生活保護を受けている子供に領収の袋を渡すのもつらい。子供たちは食べるという人間の基本的な行動を前に、それも平等であるべき学校という場において格差を見せつけられるのだ。私の教え子の一人に先日機会があって会った。その時にも同じ経験を語っていたのを思い出す。今も起こっていることなのだ。

この事に文部科学省がようやく腰を上げた。先月のことだ。11月4日、全国の7割以上、74㌫の学校で給食費の徴収・管理が任されて、それが教員の負担になっていると報告した。国は徴収・管理業務の現場教員から自治体への移行を勧告した。既に中央審議会は2019年に給食費の徴収は教員の業務ではないと報告しているのだ。にもかかわらず7割を超える教員が、未納児童生徒の家庭を回って集金しているのだ。

給食の無償化については、地方財政の経済圧迫につながる、親の責任を放棄させるようなものだなど・・。日本では否定的意見が多いのも事実だ。

2017年1,740の市町村に給食費無償化等の実施調査が行われた。実施している自治体は、76 自治体、1割にも程遠い4.4%だ。多くは町や村であり大都市ではほとんど無償化の話はない。

世界の一例を示しておこう。ニューヨークは、2017年、パブリックスクール全生徒110万人を対象に、給食の無償化をスタートさせた。韓国の小学校の無償化給食は2014年には94㌫、中学では76㌫にのぼった。フィンランドは、既に1948年、戦禍から立ち上がると同時に週5日間の給食無償化を実施している。

日本で格差を広げる教育行政が進んでいるのは、給食だけではない。

教育用コンピューターの1台あたりの児童生徒数は1位の佐賀県が1.9人/台であるのに対し、最下位の愛知県は7.5人/台とおよそ4倍の開きがある(2019年3月時点)。一人一台などと云う教育体制は程遠い状況である。パソコンが、現代そして未来の教育の手足であると言うならば、なお一層の努力目標と数値を示さねばならい。

日本は近代化の過程で、子供たちに犠牲を強いてきたのではないか。全体教育の画一化は、生徒指導においても見直しが迫られている。今こそ、つまりコロナ禍という未曽有の危機こそ教育の平等を、そして子供の幸福とは何かを、根本的に考え直す時なのだ。教育に必要なのは何よりも公助なのだ。

首相在任中に出産、国連総会にも赤ちゃんを連れて出席した、ニュージーランドのアーダン首相40歳が今年10月19日総選挙で圧勝した。彼女の公約は、「幸福予算」を国家予算に組み込むというものだ。中でも、精神疾患、子どもの貧困、家庭内暴力(DV)の三つの問題に多額の予算を当てると公約した。「国民の幸福とは何か」を問いかけながら行政を進められるべきだと彼女は主張する。そして国民の幸福を重視するのであれば、家庭内暴力や子どもの貧困対策に資金を拠出するのは当然のことだと云う。

このコロナ下でこそ、教育への緊急なる経済援助<給食の無償化>そして不幸を生まない緊急精神援助が必要なのだ。これは党派を越えた、教育に理想を据えるかどうかの問題だ。

多くの課題を抱える日本において、今こそ教育が理想を目指しその一歩を踏み出さない限り、私たちの未来はない。悲劇の時こそ、過去から得た教訓を糧に未来を見なければならない。

今、コロナ下で示された子供の精神的幸福度指数が世界最低水準の数値であることを忘れてはならない。

【追記】

以上のことを書いた後で、NHKのWEBニュース(11月26日)は、今年の子供の自殺が昨年やおととしの数を大幅に上回り、厚生労働省が発表した統計によると、小中学生と高校生の自殺者はことし4月から先月までで246人、去年の同じ時期より58人、おととしの同じ時期よりも42人多くなっていると報じている。

2020年11月27日 渡辺憲司(自由学園最高学部長)

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