2026年10月19日
『ホモ・デジタリスの時代』ダニエル・コーエン著、林昌宏訳、白水社、2019年
新聞紙面ではほとんど見かけない日がないといってよい「AI(Artificial Intelligence)」。いまや現代社会を支配的に覆い尽くすこの現象に賛否それぞれの意見が飛び交うAI関連本が日に日に増えつつある中、フランスを代表する経済学者・コーエン(Daniel Cohen、 1953-2023)による本書は巷にあふれるそれらとは異なるユニークな視点で今日のデジタル社会を診断している(本書のフランス語原書(Il faut dire que les temps ont changé。。。:直訳すると『時代は変わったと言うべき…』)が刊行されたのは2018年だが、その射程は生成AI(ChatGPTなど)の登場に象徴される現在の「第四次AIブーム」にも及んでいるいってよいだろう)。
というのもコーエンは一つの興味深い筋書きから本書を書き始めているからである。それは、今日オンライン接続に頼りながら生きる現代人—彼は「ホモ・デジタリス」(homo digitalis)と呼ぶ—を、今から約50年前の「六十八年五月」、すなわちフランスの学生運動が本格化した「五月革命」以来の脱工業化社会の歩みが行きついた一つの帰結として捉えるというストーリーである。デジタル社会を単に技術革新の成果としてみるのではなく、この50年間の経済成長の失速と格差そしてポピュリズムの台頭に伴う幻滅と危機の連続の中で徐々に用意されてきた、別の言い方をすることが許されるならば、“歴史の相”において批判的に再評価すべきという立場にコーエンは立っている。今日広く流布しているAI関連本に比べると異様な様相を呈している本書は(取り上げられる事例の多くがフランスに関してではあるが)経済、思想、政治、文化など学際的視野のもとで戦後史を総覧しつつデジタル社会の到来の不可避性をときにシニカルな表現も交えながら分析した、問題提起の書である。
コーエンによれば、脱工業化社会の成れの果てに到来したデジタル社会ではあらかじめデジタル化された無数の顧客を「収益」確保の対象とみなすソフトウェアや人工知能により「人体の限界を超えた世界で交わされる約束」(本書16頁)が保障される。このほとんどユートピア(その語源は‘ou-topos’、すなわち「場所がない」の謂)といってよい世界に身を置くわたしたち「ホモ・デジタリス」に到来する未来は、希望か、それとも、これまで幾度も失敗を重ねてきた道徳的破綻や金融危機の再来か?「テクノロジーが急速に発展して途方もない約束を掲げても、若者は未来を覗いてみたいという気持ちにならないのだ。これは『歴史の意味』に取りつかれていた六〇年代の若者と比較すると、機体の驚くべき反転である。現在はもはや過去と未来との間に張りつめる瞬間ではなくなり、永続的な現在という、ある種の泥沼になった。」(本書192頁)と書き綴る著者の言葉の行間からはデジタル社会という「構造」—かつて構造主義者たちが主張したように—の中にわたしたちはある以外にないというある種のデカダンスの余韻すら感じさせるものである。
それでもコーエンは本書の最後である種の期待を込めたメッセージを残している。「次の半世紀のわれわれの課題」として求められているのは「社会的な批判」と「芸術的な批判」、ひと言でいえば「新たな人文主義」(イタリアの歴史学者・スキアヴォーネ(Aldo Schiavone)の言葉)であると(本書215-216頁)。加速化する AI時代の流れに身を置きながら、批判的に生きる力を具えた人間への信頼の時代をわたしたち自身がいまこそ切り拓かなくてはならないことを教えられた一書である。(田)















