第48回 「清水物語」講演と感慨/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 自由学園 最高学部(大学部)/ 最先端の大学教育

第48回 「清水物語」講演と感慨/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 最先端の大学教育【自由学園 最高学部(大学部)】

前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」

第48回 「清水物語」講演と感慨

2016年10月26日

11月5日(土曜日)池袋の立教大学キャンパスで開催される立教大学文学部日本文学専修の設立60周年記念国際シンポジュウム「還流・貫流する日本文学-17世紀の文学圏」で行う基調講演のことが頭に引っかかって、このところ、何をしても追われているような気分になって落ち着きません。

題名は、「仮名草子の時代―アジアへの視点」としました。
「清水物語」という作品を中心に述べたいと思っていますが、特に副題「アジアの視点」というところが、支離滅裂の脳裏を駆けめぐります。

仮名草子というのは、江戸時代初期、井原西鶴の浮世草子などが登場する時代の前、将軍で云えばほぼ家光時代に、出版文化の萌芽期で実に雑多な作品群が生まれています。それらの文芸的な作品群の総称を仮名草子と呼んでいます。細かく言うと、「好色一代男」成立の1682年以前の散文作品です。

絵画の方では、浮世絵時代の前の時代を、近世初期風俗画の時代と呼びますが、その時代です。仮名草子の代表的作品「大坂物語」などは、NHK大河ドラマ「真田丸」などと同時代を描いた作品です。

卒業論文を考えていた頃、50年以上も前のことですよ・・。指導のH・M先生に呼ばれ面談しました。
「君ね。キリシタン文学やりたいんだって。君には無理だな。井原西鶴の作品読んだ。」
「いいえ。」と私。
「西鶴読んでから来なさい。ハイ次の人。」
こんな感じでした。

ところが、その西鶴論が、卒業論文発表会の代表に選ばれびっくり仰天。
出版社の就職試験に落ち、大学紛争で大学院入試もなく、学内推薦で大学院へ。

「修士論文何やるの。卒論が西鶴だから仮名草子だね。キリシタン文学はそれからだね。」
「何から読めばいでしょうか・・」と私。
「文学史の講義、君、前の方で寝てたね。テキスト読んだら・・」と、仲人までしてくれた恩師の眼鏡の奥に厳しい表情があった。
定時制の高校教師、そして結婚。修士論文は、新婚旅行の休暇中に書きました。
(日本シリーズ、対ロッテ、長島のホームランに興奮していた思い出の方が残っていますが・・)

「博士課程は行かないよね。修士論文の中の「清水物語下巻論」ね、まとめて活字にしておきなさい。いい思い出になるよ。」と俳諧のT・S先生。
一年空けて、希望者が少ないとの情報で博士課程を受験しました。
「清水物語論のようなものを、重ねて博士論文にしたいと思っています。」と私。
近代文学の評論で注目されていたA・M先生が横合いから口を出しました。
「君に文学論は無理だよ。伝記研究からだね」
又、もう一人、中世の歌壇史研究のM・I先生が
「そうだね。作品論は、センスと頭が必要だね。足で書く方がいいよ。」
すると、もう一人、中国文学のS・N先生が、
「研究は金がかかるぞ。貧乏人には厳しいぞ・・」と優しいようなあきらめを促すような一言。
今思っても、暗澹・悪夢のような面接試験でした。
それでも休学を繰り返し、除籍勧告を受けながら博士課程を中退しました。

その後、「清水物語」が自分の前に飛び込んできたのは、『新日本古典文学大系』(岩波書店・1991年)で、「仮名草子集」の注釈を担当した時でした。
「清水物語」は、京都の清水寺で、老人が、通俗的な三教一致(仏教・儒教・神道)の思想に基づきながら、世の生き方を問い聞かせるという作品。
京や田舎で2~3,000部も売れたということで、出版メディアに乗った日本で最初のベストセラー作品ともいわれています。

「清水物語」上巻を中心に論じたのは、2007年の『文学』(岩波書店)です。
なんと、37年ぶりの「清水物語」論でした。その間仮名草子研究から離れ、大名や遊女の周りをうろうろしました。

そして、今回の講演です。

「清水物語」が刊行されたのは、寛永15年(1638)です。この年、島原城が陥落し、天草のキリシタン蜂起、農民一揆は鎮圧されました。この同時代性についても述べてみたいと考えていますが、作者が誰であるかということで迷っています。結論は、曖昧、分からないということになりそうです。

「東アジアの思想空間はシンクレティズムの花園なり。-これが結論。シンクレティズムとは「ごたまぜ」という意味である。儒教と仏教と道教がごたごたまぜまぜになっている。純粋ではない。けれどゆたかさがある。そしてそれこそが宗教というものの現実の姿ではないか。」(菊地章太『儒教・仏教・道教』講談社選書メチエ)とあります。

白黒あまりにはっきりしようとして、声高に積極的に平和を叫び仮想敵国を作り上げたり、紆余曲折をのろまと云ったり、共有、共通を置き去りにして違いを殊更にし過ぎているような気分が今漂っています。シンクレティズムの声が無効であるとは思いません。
三教一致の啓蒙的作品「清水物語」を通して、迷うことの意味を考えてみたいと思います。

私の話は、いつも雑談で終わってお叱りを受けます。今回も叱られそうです。
秋の午後、コップ酒に合うようなシンクレティックな、ホルモンの煮込みのような話です。
もちろん、無料どなたでも参加できます。立ち飲み気分でお立ち寄りください。

立教日文60周年です。
H・M、T・S、A・M、M・I、S・N諸先生皆旅立たれました。
夕方から懇親会もあります。

2016年10月25日 渡辺憲司 (自由学園最高学部長)

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