第84回 痛風雑感/最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 自由学園 最高学部(大学部)/ 最先端の大学教育

第84回 痛風雑感/最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 最先端の大学教育【自由学園 最高学部(大学部)】

最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」

第84回 痛風雑感

痛風の激痛、2週間。この間、1滴の酒も飲まず、気力もだいぶ落ち込んだがようやく回復。
見舞いに、『痛風はビールを飲みながらでも治る』と題した本を友人からいただいた。痛風は肥満が原因、1日に日本酒1合半までなら大丈夫ということだ。
久しぶりに飲んだ日本酒は実にうまかった。一緒に飲んだI氏曰く。「ちょっと頬が赤くなってますよ。休肝で肝臓が元気になったようだね。」と。
痛みの最中は杖をついて学校に通った。電車の席を譲ってもらうのは、見栄もあって、結構ですなどとやせ我慢していたが、今度はそうもいかない。多くの人の支えに心から感謝したい。

電車の中、よろよろとしていた自分に席をゆずってくれた大半は外国の方のようであった。
先日の中国での地下鉄。老人4人連れで行動したが、席に座れなかったことはなかった。うるさ型の老人衆異口同音に・・。
「日本ではこうはいかないよね。」
韓国でも、台湾でも同様であったと、話に花が咲いた。
儒教の国の年上の人に対する敬意の表れであろうか。
ホームでの彼らはほとんど整列しない。日本人でならばまず整列する。その後は同じだ。我先にと席を奪い合う。この後が違う。
日本人は誰が来ようと、われ関せずとスマホに向き合うか、居眠りをするかどちらかである。
しかし、中国では席を確保した後に、ほっとしたように顔をあげ、そして近くに老人がいればにっこり笑って席をゆずる。4人の老人に対して、7,8人が席を立つのには驚いた。
整列好きの日本は何かを失っているのではないか。規則を守ってやさしさを失っているのか。

中国・韓国だけではない。アメリカでもヨーロッパでも同じような経験をした。
外国人の間にいる方が快適なことも多い。
外国のホテルのエレベーターで知らない同士が乗り合わせると必ずと言ってよいほどに、にっこり笑顔を交わすか、軽い挨拶を交わす。日本ではまずそのようなことはない。黙って行く先階を押すだけであろう。

異文化コミュニケーションの問題かもしれない。日本人は、同じ地域にいて同じ価値観を持つという盲信が強い。誰といても安心?なのかもしれない。多様であることが前提となっている国では、見知らぬ同士が安心を確認する必要があるのだろう。
道徳観ではなく、生活の知恵のように考えられるのかもしれない。
道徳論を振り回すつもりはないが、長年教員生活を送ったものとしては、電車の中での若者たちの老人無視は、責任を感じずにはいられない。
「赤ちゃんを電車に乗せることに母親が気兼ねする国は日本だけですよ。」と驚きの声を寄せたのは、外国の友人であった。

痛風になって、電車の中が見えてきたような気がした。なんとぎすぎすしていることか。「旅は道連れ」などと言った言葉が死語になったのは高速時代当然の成り行きであろうが、私たちの間で寛容さが失われてきていることは確かなようだ。
何故であろう。教育の責任もあろう。自戒しなければならないことも多くあろう。
「日本の若者が席にしがみつくのは、彼らが疲れているんですよ。お腹いっぱい食べていないんじゃないですか。」とは、北京での懇親会での話。そんなわけはないと笑い飛ばしていた。
しかし、現代における教育界の緊急課題が、貧困家庭の増加であることがしばしば指摘されている。そして、若者がゆっくりと仲間と食事をしたり、ゆるやかな時間を共有することも薄れているようだ。「衣食足りて礼節を知る」(『菅子』)の言も思い出す。

余裕を失っているのだ。長時間労働の慢性化は、家庭崩壊を生み、貧富の格差はかってないほどに広がっている。席を譲ることが出来ないのは、日本の慢性化する格差社会の若者に対するしわ寄せなのかもしれない。この社会をつくり出した責任の重さを、我々の世代が引きずっていることも意識せねばなるまい。
痛風などとのんきなことを云っていられない。
せめて老人だけでも、心に余裕を持ちたいものだ。毅然矍鑠(きぜんかくしゃく)とまでいかなくても、どんな時にも余裕の「微笑み返し」だけは忘れてはなるまい。先に生まれた者のなしうるささやかな義務であり、それは責任かも知れない。

ところで、肥満対策。これは難題。加齢と体重増加には勝てないようだが、もうすぐ73歳。まずは73キロまでに減らすことにした。

2017年11月24日 渡辺憲司(自由学園最高学部長)

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