第111回 居酒屋講義録「江戸のダンディズム」色道の世界/最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 自由学園 最高学部(大学部)/ 最先端の大学教育

第111回 居酒屋講義録「江戸のダンディズム」色道の世界/最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 最先端の大学教育【自由学園 最高学部(大学部)】

最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」

第111回 居酒屋講義録「江戸のダンディズム」色道の世界

2018年10月29日

どこかのお堅い講演会の後、後輩と一緒に飲んだ時、「軽く飲みながら、居酒屋だともっと面白く楽しく出来るんだがな。」などと酔いにまかせて口走った。それが10月中旬に人形町の鮒忠で実現した。人形町が、元吉原の発祥の地に近かったこともやる気を起こさせた。以下、話が飛びに飛び、呂律もまわらなくなったので、来ていただいた方への陳謝のためにも少しまとめることにした。尚、参加は予想をこえ、実に楽しい会だった。

井原西鶴は、遊廓の世界を「世界のうそかたまつてひとつの美遊となる」と、その遺作『西鶴置土産』の序文に記しました。嘘の仮面をかぶった遊廓から享楽的な美しさも生まれたのです。遊廓は仮面劇にも似ています。

遊廓で人(遊女)を愛するとはいかなることなのかという思いを、<作法><格式>として思惟する哲学とも言いうるような書物が、元禄初年、17世紀の初めに日本の文化史、美学史に登場しました。それが江戸ダンディズムの教書、<粋(すい)の品格>の伝導書、『色道大鏡』です。
作者は、藤本箕山。京都の富裕な商人の子、松永貞徳を中心とする文化人サロンの俳人としても活躍しました。
この文化人サロンにはこの時代における超一流の文化人・教養人達が集まった。幕府の体制的な儒学を形成した林羅山、それに対抗した京都の伊藤仁齋、そして宮廷文化の担い手であった公家歌人もこぞってこのサロンに集まりました。ここで『源氏物語』を初めとする古典が解放され、俳諧・狂歌といった新たな文芸も始動したのです。教養ある遊びの達人<町衆>達の雅な文化サロンでもありました。しかし、箕山はこの雅な世界に安住していたわけではありません。20歳、彼の生家は倒産し家を出、故郷を去り、<破家><去国>の身となり、北は関東、南は九州へと諸国を遍歴した。彼の目的は、諸国の遊廓を巡って色道を確立することでした。

戦後、多くの若き世代の心をつかんだベストセラー『三太郎の日記』の著者であり、『色道大鏡』の最もよき理解者であった、阿部次郎は、『徳川時代の芸術と社会』(改造社 昭和23年)で、「畠山箕山の『色道大鏡』は、その志すところの珍らしさと、これに捧げられた努力の真摯な点とに於いて、天下稀に見る書の一つである。彼がこの書に於いて志すところは、遊里の内面的(道徳的といふ言葉を用ゐることも出来るであらう)立法である。彼は政治家の遊郭政策とは全然異れる意味に於いて、理想的な「遊び」の道を-所謂「色道」を-建立するために、その生涯の最も多産なるべき三十余年を捧げた」と述べています。

箕山の生真面目な色道確立のフィールドワークは、30余年続けられ、『色道大鏡』の基となったのです。53歳、延宝6年(1678)です。
箕山は、本書の中の「寛文格」と呼ぶ一章で遊女のあるべき姿を集約し、「寛文式」で遊客つまり客である男達の理想を追いました。16世紀後半の年号、格式としたのは、醍醐天皇の御代、延喜格式など法令がよく整ったことになぞらえたもの。
箕山の求めるところは、実に事細かです。「口中無沙汰なら、色を好むとは言い難し」と歯の磨きよう、「爪の丸くとりなしたるはその様いやし」と爪の切り方、額、髭、眉などにも注文をつける。脇差しは長く、印籠は黒い無地、巾着を前に下げるなどと言うのは下品、鼻紙入れは薄く小さく、扇はおろしたては使わず、履き物は「草履を本とし、雪駄を次にす」とするなどとあります。
持ち物などは目立たぬようにするのが大事な心得。
「遊廓に入る人は、それかあらぬかのやうに見なしたるこそ風流なるべけれ、おもてをむき出したるを恥ざるは、いたくふつつかなり」と、編み笠は新しいものを用いずに粗末なものかぶるのがよいとも記しています。遊廓に行くものは、目立ってはいけない、<それかあらぬか>の態が好ましいのです。
遊女へ手紙を書く時も、「古歌を引き出して書く」などは無用のこと、「ゆめゆめすべからず」と厳しい。知識教養をひけらかすなど遊廓では禁じ手です。座談の時のように自然な物言いで手紙も書かなくてはいけない。
はじめて約束して遊女に会う時、初会は、昼間に訪ね、少しの暇に(もちろん多忙でも、会うことを心待ちにしていたとしても)会いに来ましたので時間がありませんと言って「早く帰るべし。かならず床に入ることなかれ」と強く言う。再び会う時(再会)も、無理に相手を定めて床入りをするなどというのはもってのほかです。相手の遊女の気持ちをおもんばかることが肝要です。
「当道の仕立は、常の物好きにあらず、傾城の好むところに従ふ。心に応ぜずといふとも当道に翫ばんには、その品によるを道の要とす」
色道に心がけるものの有り様は、自分の思っているような好みに従って行動するものではない。自分の好みで行動するのではなく、あくまで相手の傾城、遊女の好みに自分を合わせる。もしも自分の気持ちに合っていないとしても、遊廓に遊ぼうと思うものは、遊廓が培ってきたその品格に従って行動することこそが、色道にもっとも肝要なことである。そう言っているのです。そしてその考え方を集約したものが<粋>です。

「粋 当道の巧者をいふ。抜粋を上略したる詞なり。」という。
色道に熟練した者、好色の道をよく理解している者の中でも特に抜きんでた粋なる者「抜粋」を略した表現です。箕山は、『色道大鏡』巻五で、法華経二十八品に擬えながら好色の階梯・諸相を記し遊びの極意を伝えています。色道版<ヰタ・セクスアリス>とも称すべきものです。
男も女も、身分のある者も、賤しい身分の者も、あらゆる人に区別なく愛情を向けるので、すべての人が同席することを望む。それが<抜粋>であるという人生哲学の到達は傾聴に値します。

粋は一説に<推>の字を当てて、相手の気持ちをよく理解する遊びの理念です。さらに粋には<水>の字も当てる、身を飾り巧むこともなく、自分に色をつけることなく相手の色に染まるということでしょう。このような考え方が、この時代回避できない制度として存在した買売春制度の郭の中で成立したのです。

そして箕山の目は郭以外の女性達、路上で春をひさぐ娼婦(夜鷹・夜発)にも目を向けています。箕山はいう、彼女たちは、ばいた(売女)と呼ばれるが、彼女らは牧田である、何故なら彼女たちの手足が荒れているからそう呼ばれたのだ。それはあらあらしき心根をいうのではない。盗賊の類であるなどというが、彼女らこそ「清く健やかなる」ものだ。彼女らが多く増えるのは無策な政治に拠るものであると批判する。親の犠牲になり身を売らねばならぬ娘たちこそ「不義にして義あり、不道にして道あり」と云います。

江戸のダンディズム、男のダンディズム、好色の精神の底に流れる粋・推は時代を超えたヒューマンです。人間としてのやさしさです。上方で<すい>とよばれた粋は、江戸で多く<いき>と称された。いきの初発は「意気」です。意気地、意気込み、張りなどと呼ばれる溌剌とした軽快な心意気です。

又、粋人とは呼ぶが、粋人(いきひと)などとは決して言わない。<すい>が遊廓における生活態度や理念、その場の精神に関わるものであり、<いき>は、幅広く美的理念として抽象化されながら表面に示された形容である。語義としては、粋(すい)と粋(いき)はかなり隔たりを見せています。
たしかに、その後の変質を踏まえなければならない。だが、底流は同じものなのではないか。
滅び行く京文化の中で輝いた粋<すい>は、上昇期江戸町人、江戸っ子と呼ばれる心意気の中で粋<いき>の文化を築いていったのです。貴族的趣味性の強い町衆の文化が<すい>粋を生み、多くの武士と共存しながら培った上昇気運の江戸町人文化が<いき>を生んだとも言えましょう。

垢抜けた有りようが洒脱であり、洒落の世界です。その洒落といきは好一対の美意識です。これも又、『色道大鏡』の瓦智(野暮)から粋(すい)への階梯が、遊廓の持つ虚飾をそぎ落とした修練である事とも相通じるでしょう。
助六の芝居を見ながら、張りのある意気地の啖呵に江戸の大衆は<いき>を感じた。
大胆な荒事の江戸歌舞伎の心意気とやわらかな上方の和事の芸を調和させた舞台です。一見それは、『色道大鏡』の世界とは異なっているように見えるかもしれない。しかし、江戸の人々は、この舞台で横暴な権力に鬱憤を晴らし、謙虚さを失った半可通な野暮の遊び人を笑ったのです。悪態をつく助六は反転しながら観客に喝采を浴びたのだ。彼らは、ここにやさしさを基調とした色道のダンディズムを見据えていたに違いない。
それは、寂寞とした現代文化に向けた、深く真摯な他者理解、粋(すい)と粋(いき)の江戸からの置土産でもあります。
もちろんこれが、仮面劇「遊郭」世界の価値観であることも云い添えておかねばなません。仮面は自分を隠しながら、自分を見つめることでもあるのです。

 

10月は、この他に府中市にて、東京都市町村社会教育委員連絡協議会の研修会でも話をさせていただきました。いずれの機会にか、この時の話もまとめてみたいと思っています。

 

2018年10月29日 渡辺憲司(自由学園最高学部長)

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