朝食後、決まって家内が聞きます。
「夕飯何にする。」
以前は、肉にするか、魚にするかなどと迷ったものでしたが、この頃は、
「湯豆腐にしようか」などと答えます。
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ほっこり気分で書いた後でふさわしくないのですが、劇作家また俳人としてもよく知られた久保田万太郎に次のような小唄があるのを思い出しました。
冬の身の とどのつまりは 湯豆腐の
あわれひかげん うきかげん
日はかくれて雨となり 雨また雪となりしかな
しょせん この世は ひとりなり
泣くも笑うも 泣くも笑うもひとりなり
万太郎最晩年の作です。万太郎の3番目のパートナーが亡くなった直後の作です。万太郎は、小説・演劇界でも重鎮で栄光を一身に集めたような感じでしたが家庭的には不幸だったようです。
万太郎の最初の奥さんは、長男を残して自殺(睡眠薬の量を誤ったとも)。2番目の奥さんとは、長く別居生活。3番目の一子さんは、籍には入っていないようです。万太郎の死後、納骨しようとした墓石の下から、「久保田一子」と記された骨壺が出てきたそうです。まぎれもなく、か細い独特の万太郎の筆跡でした。死ぬまでに戸籍上の久保田姓を与えられなかった愛人への供養だったのでしょう。万太郎には、湯豆腐のこんな句もあります。
湯豆腐やいのちのはてのうすあかり
これは一子さんが亡くなった通夜の句です。
赤坂の家でひとり湯豆腐に向かっているのでしょう。白い豆腐の向こうに白い湯気がうっすらと立っています。強い熾火ではありません。弱火の中の薄明かりです。取り残された男の後姿。愛する人を思う命のはかなさが伝わります。
少し気分を変えましょう・・・。
芭蕉の句です。
色づくや豆腐に落ちて薄紅葉
芭蕉が宗匠として自立した35歳の句です。白い豆腐に、ぱらりと紅葉が落ちてきたのです。紅葉したばかりの葉です。真っ赤ではありません。十分に色づいているわけではありません。色のコントラスが強調されて解釈されているようですが、薄紅葉に気がひかれます。
薄紅葉は紅葉しきれていないのです。初紅葉とも云います。私には、芭蕉が世俗的な仕事から離れ、宗匠として文芸世界で生活を立てる決意をその薄い紅に託しているような気がします。新たな白いページを俳諧の世界で切り開こうとする静かな思いです。
この句が湯豆腐であるかどうかはわかりませんが、屋外での湯豆腐を思います。芭蕉の句は江戸でのようですが、私には南禅寺のそばの湯豆腐屋の景を思い出します。もっとも、南禅寺の湯豆腐は、料理本の『豆腐百珍』を見ると、我が家のような、昆布を敷いた鍋に豆腐を温めるようなものではないようです。「絹ごし豆腐を用いる。湯煮して、器にとり、熱い葛あんをかけ、溶きがらしを置く。また、南禅寺豆腐ともいう。」などとあります。又、絹ごし豆腐を用いるべきだとさらに強調しています。江戸の元禄からの老舗、鶯谷、根岸の豆腐屋「笹乃雪」も絹ごしの献上品で有名になった所です。
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冬の老夫婦に湯豆腐はよく似合います。
「豆腐は絹ごしがいいね」と私。
「あら、あなたはいつも木綿でしょ。」と妻。
湯豆腐や泣くも笑うも二人かな
2018年11月18日 渡辺憲司(自由学園最高学部長)