第165回 神無月雑記―川瀬巴水・野ざらし紀行・明日館のツタ/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 自由学園 最高学部(大学部)/ 最先端の大学教育

第165回 神無月雑記―川瀬巴水・野ざらし紀行・明日館のツタ/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 最先端の大学教育【自由学園 最高学部(大学部)】

前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」

第165回 神無月雑記―川瀬巴水・野ざらし紀行・明日館のツタ

2020年10月22日

10月第2週金曜日「茨城県県北生涯センター 県民大学講座」が終わった。今年は、「浮世絵と文学」と題して、5回やった。浮世絵の歴史をたどるというよりも、仮名草子「是楽物語」の同衾男色風挿絵からはじめ、菱川師宣と好色一代男のこと、歌麿の「深川の雪」への絵注釈を加えるなどした。すべてZOOM。冗談交じりで時間を過ごすわけにもいかず、ノート作りに苦労した。

最後の回は、歌川広重の「江戸名所百景」の背後にある安政の災異のこと、広重の後継者などとも称される昭和の浮世絵師川瀬巴水の茨城関係の絵にふれた。一番触れたかったのは、巴水の涸沼(ひぬま)。月明かりに照らされる涸沼(ひぬま)は、松波勘十郎(宝永年間、水戸の藩政改革を主導、領民の激しい抵抗<宝永の百姓一揆>にあい挫折、その後、水戸藩によって息子二人と共に処刑された。諸国遍歴経済再生アドバイザーの浪人)・大久保利通をしても、干拓事業が進まず、今は、ラムサール条約によって保護される湿地保全地だ。環境問題を考える一つの聖地だと私は勝手に思いこんでいる。巴水の絵はその象徴だ。巴水と勘十郎を思いながら涸沼のシジミで一杯やりたかったがお預けになった。

第3週木曜日からは、対面講義が始まった。オンラインでは、私も含めて遅刻などなかったが、対面になると、私も5,6分遅れて教室入り、学生も承知で遅れてやって来る。本来は、宗教と文化の講義で、キリシタンを扱うのだが最初ということもあり学生の希望を入れて特別講義。小沢昭一のDVD吉原講義(井上ひさし作「唐来三和(とうらいさんな)」講演の前振り。絶品の吉原講義だ)と私の注釈。大笑いで講義が終わった所で、性にける人権問題に触れる。売春は、買売春と呼称を明確にすべきだと。文化を無自覚に享受することは文化を継承評価することにならない。横道に入る楽しさが対面授業の醍醐味。久しぶりに授業が終わってもだらだら話す。

この日の夜から、明日館のカルチャーで、芭蕉の「野ざらし紀行」の講義。

現役で講義をするのももう長くはない。出来うる限り、語彙の注釈などはしない。作品を孤絶化して読み込んでいきたい。芭蕉と自分だけの空間を作って向き合いたいと思ったが、時代背景の説明に思わず力が入る。

旅立ちの前、芭蕉は深川の庵を天和の火事で焼け出され、秋元藩郡内(山梨県)の谷村で俳人高山麋塒(びじ)の世話になった。甲州流寓である。この時期見落としてならないのは、所謂天和元年の郡内一揆直後と芭蕉の滞在が重なることだ。天和の飢饉下、郡内の農民たちの生活は酸鼻を極め、幕府へ彼らは越訴を行った。結果、秋元藩の処断は苛烈だった。磔・打ち首の屍は累々、悲惨な状況を生んだ。この処置にあたった藩の家老が高山麋塒である。
芭蕉はその惨状の記憶を引きずりながら甲州での日々を過ごしたのである。

甲州のみではない。この時期、日本国中は災害と飢饉に見舞われている。
道中、自然に身を任せれば、泰平の世、何の心配もないなどと、書き記した後で、芭蕉は、旅立ちの一句をはく。

「野ざらしを心に風のしむ身かな」と。

自分の身が風雨で骸骨のようにさらされようとも・・と、旅立つ悲壮な決意と解するのが通説のようだ。その思いに重ねなければならないのは、この時期の現実だ。「路糧を包まず」(食い物の心配なく)旅立つという前書きと<野ざらし>のギャップを如何に説明するのか。

少なくとも「野ざらし」は、目の当たりの状況でもあるのだ。これを踏まえずに富士川の捨子の話も、架空話に違いないなどと素通りは出来ない。

捨子、母の死、西行の中山、命二つ、弟子との再会・・・。人生不可避「野ざらし」の命を見据えるのが<野ざらし紀行>を読むことだなどと熱くなる。

芭蕉曲解講座の始まり。どこまで続けられるか・・・。

17日 非情の雨、体操祭やむなく中止。
18日 立教大学のホームカミングディ。オンラインの池袋散歩案内、立教から明日館を歩く。立教の時計台のツタが、自由学園明日館から贈られて移植、今に育ったなどと紹介。(このツタ誕生話御存知でしたか・・。明日館の渡辺館長に教えてもらいました)

2020年10月22日(木) 渡辺憲司(自由学園最高学部)

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