羽仁吉一・もと子夫妻、福沢諭吉・錦夫妻の写真/学部長ブログ - 自由学園 最高学部(大学部)/ 最先端の大学教育

羽仁吉一・もと子夫妻、福沢諭吉・錦夫妻の写真/学部長ブログ - 最先端の大学教育【自由学園 最高学部(大学部)】

学部長ブログ

羽仁吉一・もと子夫妻、福沢諭吉・錦夫妻の写真

2025年6月29日

興味深い2枚の写真。1900年、最晩年の福沢諭吉夫妻の写真(慶應義塾福澤研究センター所蔵)とその翌年1901年に撮られた羽仁夫妻の結婚記念写真(デジタルアーカイブス自由学園100年所蔵)です。共に背の高かった夫諭吉、吉一が椅子に腰掛け、妻の錦、もと子が立っている同じ構図です。背景や椅子、テーブルもよく似ており、もしや同じ写真館?との想像がわきます。

自由学園を創立した羽仁夫妻は福沢諭吉に大きな影響を受け、吉一先生はその著書の中でたびたび「福沢先生」の言行にふれ、生涯を通じ学問の独立を守り、在野の精神を貫いた生き方を尊敬を込めて紹介し、生徒と共に『福翁自伝』や『学問のすすめ』を読んでいます。また生徒に対して、「ミセス羽仁は女福沢だよ」とも語っています。

先日大阪訪問の際、堂島川沿いの「福澤諭吉生誕の地」に足を運びました。

誕生の記念碑と共に「天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ人ノ下ニ人ヲ造ラズ」の碑がありました。 

1834年、福沢諭吉はこの地にあった中津藩の蔵屋敷で、下級武士の家に生まれたとのこと。近代日本の形成に大きな影響を与えた福沢諭吉を想い、感銘深いひとときでした。

驚くべきことに福沢諭吉は江戸時代に3度にわたり欧米諸国に渡航し世界を体感しています。この時代には稀なその海外経験で得た広い知見を踏まえて、その後、日本の行く道を見通し、封建的日本社会を変革するための啓蒙活動を展開します。

福澤諭吉の問題意識は日本という国家の独立でしたが、その発展のためにはまず一人ひとりが自立した人間になり、自らの考えと責任において行動することが必要と考えました。福沢諭吉は「独立自尊」という言葉でこれを示し、国家に対しては自ら在野で独立の姿勢を貫きました。

『学問のすすめ』では「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と人間の平等と共に、「男も人なり、女も人なり」と男女平等も説きました。夫婦の記念写真において男性の夫が座り、女性が立っている構図にも、この平等思想が表れているのかもしれません。

自由学園の教育の特色を表す言葉に「自労自治」がありますが、当初もと子先生が用いていたのは「自労自活」でした。

「めいめいの生の要求と工夫によって築きつつある独立の人格を持つやうに私たちの子供が生い立って行けば、自分の思ふ所、欲する所、能ふ所を云ったりしたりしないでゐられない訳になります。このやうにして仕事をすれば、自労自活の人になるのは必然の結果であります。」(「自労自活の人」1917年)

この「自労自活」という言葉ですが、さかのぼると1900(明治33)年、慶応義塾の塾生に示された『修身要領』にこの言葉が使われています。

その一節に「心身の独立を全うし自ら其身を尊重して人たるの品位を辱めざるもの、之を独立自尊の人と言ふ。自ら労して自ら食ふは人生独立の本源なり。独立自尊の人は自労自活の人たらざる可らず」とあります。

この当時、もと子先生の弟松岡正男は慶應義塾で福沢門下で学び、草創期のラグビー部で活躍。後に、福沢諭吉がおこした時事新報社の社長も務めています。

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