問いから始まるリベラルアーツ/学部長ブログ - 自由学園 最高学部(大学部)/ 最先端の大学教育

問いから始まるリベラルアーツ/学部長ブログ - 最先端の大学教育【自由学園 最高学部(大学部)】

学部長ブログ

問いから始まるリベラルアーツ

2025年7月16日

第2回What is Liberal Arts?「問いから始まる人類学 木村秀雄」録画の配信をご案内いたします。

https://youtu.be/tu-aZspEz8c?si=8UfCnYzaks2YgpEL

2人、、「What is Liberal Arts? 第2回 問いから始まる 人類学 高橋和也 高橋 和也 7月3日(木) 7月3日 (木 19:30~20:15 19 木村秀雄 木村 秀雄」というテキストの画像のようです

昨年木村先生は、人類学と自由学園最高学部のリベラルアーツ教育の共通する問いの方法、研究姿勢について、以下のような文章をお寄せくださいました。

「人類学」は、問題を発見するところから始まります。わたしたちが調査に赴く時、大まかなテーマは決まっているとはいえ、まず現場に立ってそこでは何が問題なのかを考え、具体的なテーマを見つけるところから研究は始まります。そして見つけた問題を解き明かすためには、どの学問分野がふさわしいか、どのように論理を組み立てるか、納得できる結論を導くためにはどのようなデータが必要か、考えることになります。そしてそれを決めるためには、役に立ちそうな学問分野に手当たり次第にぶつかって行き、自分に最もふさわしい分野を選んで研究を作り上げるのです。これが「人類学」の基本的なあり方です。「法学」「経済学」といった学問分野(学部・学科)を最初から決めたのでは、自分が本当に考えたい問題を見つけられなくなります。「専門」は大学院で学ぶ時代ですし、その前の段階では分野を横断して勉強することが必要です。そして「人類学」を「リベラルアーツ」に置き換えれば、これが最高学部が目指すものでしょう。(「自由学園最高学部2025」)

今回のお話しは、具体例を通じて、人類学のアプローチが、安全領域で問いや仮説を立て、その答えを探しにフィールドに入るというものではなく、多様で正体不明な混沌とした現場に入り込み、現地で過ごす中で遭遇する様々な現実に向き合うことから、問いを見出し、研究に向かっていく手法であることが分かりました。

かつてアンデス高地に暮らす原住民に飢餓はなかった。それは手をかけて多様な自然環境に適応する多様な生産様式を作り上げていたことによるとの説明には驚きました。人々が共同して暮らしを営むうえで様々な種類の社会的交換を重ねることで、つながりを生み出し続けているというお話しも興味深いものでした。貨幣という一元化された交換様式は、交換が終わったときに関係性も切れてしまうため、関係の継続のためにも複雑で多様な交換の仕組みが用いられているとのお話しは、魅力的に感じられました。木村先生が親しくなった現地の方にお金で感謝を示そうとしたところ、「お前はいいやつだから受け取ってやろう」といわれたというエピソードも印象的でした。

多様性という言葉がはやりのように用いられているが、多様性は放置すれば社会をばらばらにすることにもつながる。これをお題目ではなく現実のものにするためには、多くの労力と制度的な工夫が必要であるという言葉に納得しました。

私たちが生きる現代は、将来の予測が難しい、変動性、不確実性、複雑性、曖昧性を帯びたVUCAの時代です。このような先が見えない時代を生き抜くためには、すでにある問いの枠組み、学問分野(学部・学科)の専門性を超えていくことが必要と言われます。敷かれたレールの上を順調に進んでいく生き方ではなく、様々な課題にふれていろいろな刺激を受け、新しい自分へと向かって変化していくような、型にはまらない生き方が求められるといえます。自由学園最高学部ではリベラルアーツ教育を通じて、個々人が「いかに生きるか」という「自分自身の問い」を持ち続け、生涯を通じて深め続けることを大切にしてきました。アマゾンやアンデス山脈の村々に30年以上通い続け、「理論」と「生活の現場」を行き来しつつ研究を重ねてこられた木村先生のお話しは、このような私たちにとって非常に示唆に富み、勇気づけられるものでした。木村先生が編集され、中沢新一、安冨歩、池澤夏樹、M. エナフ、渡辺公三等々の執筆者によるレヴィ=ストロースのガイドブック『レヴィ=ストロース『神話論理』の森へ』を手に取ってみたくなりました。

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