高村山荘から新花巻駅に戻る途中、宮沢賢治の生家跡、イギリス海岸、羅須地人協会に立ち寄りました。車を走らせ緑豊かな景色を眺めながら、「なめとこ山の熊」「さいかち淵」「銀河鉄道の夜」など、いろいろな童話が思い浮かびました。

生家跡を訪れるのは初めてで、一度訪問したいと思っていた場所でした。案内板には賢治の生まれが1896年であること。賢治が過ごした家は1945年8月の空襲で焼失し、その後、建て直された住居に現在も宮沢家の親族の方が住んでいることが記されていました。
宮沢家はかつてここにあった家で質•古着商を営んでいました。長男の賢治は跡取りになることが求められましたが、貧しい農民相手に値踏みするこの家業を嫌っていました。
店番を任されたときには質入れに来た農民への同情から、言われるままに金を貸してしまい、父に叱られたというエピソードが知られています。
最愛の妹トシの終焉もここにあった家での出来事でした。
けふのうちに/とほくへいってしまふわたくしのいもうとよ/みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ/(あめゆじゆとてちてけんじや)/「永訣の朝」。
わたくしが青ぐらい修羅をあるいてゐるとき/おまえはじぶんにさだめられたみちを/ひとりさびしく往かうとするか/「無声慟哭」。
今も読み継がれているこれらの詩が生まれたのもこの地でした。
また賢治が息を引き取る日の前夜、病の体で農民の肥料相談に丁寧に応じたのもこの場所でのことでした。
賢治の生涯のさまざまな場面が思い浮かび、さまざまな感慨が湧きました。
「イギリス海岸」は北上川西岸の一部、泥岩層が現れる景色をドーバー海峡になぞらえて賢治が名付けた場所です。近年はダムによる水量管理で泥岩層は水面下になり見ることが出来なくなっているそうですが、今年は日照りの雨不足のためか花巻市の観光サイトに「イギリス海岸が出現」とあり、立ち寄ることにしました。

遠くの低い山々を背景に広々と川が流れる気持ちのよい景色で、ところどころ泥岩層が顔を出していました。
稗貫農学校(後に花巻農学校を経て現在の花巻農業高校)の教師時代、賢治は臨海学校に行けない農学校の貧しい生徒を近くの北上川に連れ出し、そこを海に見立てて楽しませました。そのため「どうしてもその白い泥岩層をイギリス海岸と呼びたかったのです」とエッセイ風の文章「イギリス海岸」に記しています。賢治が生徒たちと楽しむ様子を想像しつつ、数年ぶりという珍しいその風景を眺めました。
1921年暮からの、この農学校勤務の4年間を賢治は「じつに愉快な明るいもの」と振り返っています。
羅須地人協会への移動の道では思いがけず花巻警察署前を通り、「毒もみの好きな署長さん」を思い出しました。おおよそ教訓とは真反対の賢治の人間観が表された、私が一番好きな作品です。

なお写真にあげた「毒もみ」の絵はアーチストの小西由夏さんによるものです。10年ほど前、自由学園での教育実習のお礼状に私が好きな「毒もみの好きな署長さん」のワンシーンを添えてくださったもので、賢治の世界観がよく表されており素晴らしい作品です。いつか小西さんの挿絵による賢治童話を読みたいと密かに願っています。
羅須地人協会は賢治が理想の農村建設を目指す拠点として1926年に設立したもので、そのときの建物が花巻農業高校校庭の一角に移築復元されて建っています。この高校の前身は賢治が教壇に立った花巻農学校です。

「われらに要るものは銀河を包む透明な意志 巨きな力と熱である」という「農民芸術概論綱要」の結びの一節が記された碑がありました。
実はここに高村光太郎揮毫による「雨ニモマケズ」の碑があると思って足を運んだのですが、それはここではなく、もともと賢治が羅須地人協会を設立した下根子に建てられていました。賢治の墓所と合わせて次回の訪問となりました。
国語教員になり私が最初に揃えたのは宮沢賢治全集でした。子どもの頃よりも大人になって読むようになって、賢治の魅力に惹かれています。
2023年は賢治没後90年でしたが、この年の読売新聞の検索サイト「ヨミダス」の特集記事には、「宮沢賢治」で検索すると4000件を超える記事がヒットし、その数は時代を下るにつれ加速度的に増えている、とあります。
賢治はなぜ読まれ続けるのか。いろいろな要因があると思いますが、一言で言えば、賢治が時代を超えた普遍的な問いに向き合い続け、自身の内面世界に忠実であり続けたからではないかと思います。
このような賢治を高村光太郎は「一宇宙的存在」、「内にコスモスを持つもの」という詩人らしい素晴らしい言葉で表しています。
「内にコスモスを持つものは世界の何処の辺遠に居ても常に一地方的の存在から脱する。内にコスモスを持たない者はどんな文化の中心に居ても常に一地方的の存在として存在する。岩手県花巻の詩人宮澤賢治は稀にみる此のコスモスの所持者であつた。彼の謂ふところのイーハトヴは即ち彼の内の一宇宙を通しての此の世界全般のことであつた。」( 高村光太郎「コスモスの所持者宮澤賢治」、草野心平編『宮澤賢治追悼』1934)
詩人であり、教師であり、農業技師・地質学者であり、宗教家であり、生活者であった賢治は、さまざまな領域や時代を超えて私たちに語りかけてくる不思議で魅力的な存在です。