8月15日/学部長ブログ - 自由学園 最高学部(大学部)/ 最先端の大学教育

8月15日/学部長ブログ - 最先端の大学教育【自由学園 最高学部(大学部)】

学部長ブログ

8月15日

2025年8月15日

今日8月15日、自由学園内の3つの慰霊碑と東伏見稲荷神社内の中島飛行機武蔵製作所殉職者慰霊碑の前に立ちました。

正門右手の慰霊碑は1971年に建立され、イザヤ書2章4節の聖句と共に、アジア太平洋戦争でお亡くなりになった以下12人のお名前が刻まれています。

学校のお花と共に両側に添えられているお花は、学園町にお住いの卒業生、男子部17回生の山川洋さんが先ほどご持参くださったものです。「もうこういうことができるのも俺だけになったからなあ」とおっしゃった言葉が胸に響きました。

エホバはもろもろの国の間を裁き、

多くの民を責めたまわん。

かくて彼らはその剣を打ちかえて鋤となし、

その鎗を打ちかえて鎌となし、

国は国に向かいて剣を挙げず、

戦いの事を再び学ばざるべし

一回生

 石川安次 フィリッピンセブ島にて

 植竹誠朗 ミンドロ海峡にて

 大倉裕利 沖縄島石峰にて

 木下恰作 ビルマ、シッタン河にて

二回生 

 芦沢久直 グアム島にて

 木下広雄 満州にて

 後藤光男 東支那海にて

 舟越純一 フィリピンへ転進中

 安田文信 大阪陸軍病院にて

三回生 

 坂田慶二 仏印ハノイにて

四回生 

 辻信一郎 山西省河津にて

 木下公雄 中支にて

図書館横には2つの慰霊碑があります。

1987年に女子部65回生の卒業制作で建てられた慰霊碑には、正面に詩篇23篇から羽仁吉一先生の書による聖句の一節が、側面には4人のお名前が記されています。

写真の説明はありません。

エホバはわが霊魂を活かし 

御名の故をもて 

我を義しき路にみちびきたまふ

我は永遠にエホバの宮に住まん

太平洋戦争 学徒動員中

戦禍に没した友を記念して 

高等科二年 

 赤木二葉 昭和十九年十一月

 高松和子

 古川寿美

高等科三年

 川田文子 昭和十九年十二月

また2000年に女子部23回生によって建てられた慰霊碑には、以下の文字が刻まれています。

‎記念碑、草、‎、「‎IN TERRAPA INIERRAPAX TFRRA PAX ا 1S は 平 は 대일은하 地 和‎」というテキスト‎‎の画像のようです

地には平和

  ルカ傳福音書二ノ十四

 一九四五年 敗戦に終わった太平洋戦争

 では激しい本土空襲によって二人の友が

 若い生命を失いました

 戦後半世紀あまりが過ぎたいま

 平和への祈りを新たにしつつ

 ここにその記憶をとどめます

川田文子 二十三回生

 一九四四年十二月三日没 十九歳

 学徒動員中 中島飛行機武蔵製作所

 の防空壕で直撃弾を受けて

吉岡豊香 二十三回生

 一九四五年八月六日 広島に投下された

 原子爆弾を受けて

 同月十三日没 十九歳

         2000年夏

また川田文子さんを含む、中島飛行機武蔵製作所への動員中に空襲を受けてお亡くなりになった方々の慰霊碑が、東伏見稲荷神社の境内奥にあります。こちらにはひと月ほど前から造花が活けられていましたが、今日はそこに学園のお花を加えさせていただきました。川田さんのお名前は2段目14番目にあります。

今この時も世界の各地で戦争により命が奪われ、日々の生活が奪われ続けている現実を前に、「平和を実現する人々は幸いである」という、この「実現」をどこから始めればよいのか。

慰霊碑の前に立ち、この問いは大きくなるばかりです。

記念碑の画像のようです

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