去る9月25日,最高学部助教の田口玄一郎先生が神戸大学大学院博士後期課程を修了し,学位記授与式において博士(学術)の学位を授与されました.
田口先生は平成26年(2014)に自由学園総合企画室の職員として就職し,同30年6月から最高学部教員になりました.神戸大学大学院には自由学園就職と同時期に入学しました.在学中の学業継続のために必要な経費の一部は,自由学園創立90周年事業として創設された「人材育成基金」制度を利用し,学園教職員の長期研修としてこれまで研究に取り組んでいました.
博士論文の題目は『木村素衞の教育思想研究―京都学派の戦後思想の一射程』です.
木村素衞(きむらもともり:1895-1946)は近代日本の独創的な哲学者として知られる西田幾多郎(1870-1945)と田邊元(1885-1962)の許で学び,昭和前期から敗戦直後まで活躍した教育学者であり,今日の教育哲学研究や『京都学派』研究の中で注目されています.
博士論文の特徴について田口先生は次のように語っています.
「博士論文では木村の教育思想,とりわけ晩年に結実した『教育人間学』と『国民教育論』を,それ自体としてのみならず思想史的連関の全体から捉える方法を重視し取り組みました.
論文全体のうちの3/4では,1930年代から敗戦直後までの時間軸の中で展開された木村の教育思想を,彼の師である西田や田邊,同時代の教育学者,さらに敗戦後のデモクラシーとの比較から分析し,その可能性と課題を考察しています.木村は,一方では西田の意志論や田邊のハイデッガー批判の問題圏から“身体”の意義を見出したという点において「京都学派」の思想家の一人でしたが,他方では同時代の教育学者・篠原助市(1876-1957)や小西重直(1875-1948)の思想とシンクロしながら独自の『教育関係』論と『職分』教育論の体系化を目指したという点において近代日本の教育思想史上に立つ教育学者でもあり,以上の両面から形成された『教育人間学』にこそ彼の教育思想が今日“積極的”に評価できる可能性があることを示しました.同時に,従来の研究では“消極的”な評価に関わる問題とみなされてきた木村の『国民教育論』についても取り上げ,実際にはそれが敗戦の経験と戦後デモクラシーを踏まえて展開されたものであったことを詳らかにした上で,なお今日の視点からみて明らかな限界に対して批判的に読み解く可能性を示唆しました.
論文の最後は,木村の教育思想を今日評価しうる可能性を,生前に彼が活動した時期に限定せずに戦後の『京都学派』の活動を含めた思想史的連関のうちに見出す試みをしました.具体的には,自由学園にかつて訪れた同学派の思想家たちの講義記録を手がかりに,彼らの戦後思想の一端を明らかにする作業を通じて,『京都学派』の自由学園における戦後教育への関わりがもたらした意味を明らかにしました.
戦後の自由学園は,創立者の羽仁もと子・吉一先生がご逝去された後,羽仁夫妻の三女の恵子先生が学園長に,第三次吉田内閣の文部大臣などを歴任された天野貞祐先生が理事長に就任しました(以下,先生(敬称)を省略).天野貞祐(1884-1980)は今日『京都学派』の思想家の一人としても知られ,自由学園理事長に就任した天野は同学派の多くの思想家を自由学園へ招き講義・講演を依頼したのでした. 私(田口)の博士論文では,昭和30年(1955)から30年以上にわたり開催された『自由学園女子卒業生夏期学校』※に着目し, 60年代にこれの講義のために来校した『京都学派』の思想家たち―歴史学者の鈴木成高(1907-1988),科学史家の下村寅太郎(1902-1995),ハイデッガー研究者の辻村公一(1922-2010)―の講義記録(『学園新聞』)を繙き,自由学園の教育理念と共鳴しながら語られた彼らの思想の意義を分析した次第です.
『京都学派』の戦後思想についてはこれまで個別的ないし断片的に取り上げられることが多く,戦前・戦中にかけて統一的に活動していた彼らの知的ネットワークが戦後には一見分散されたようにみえるのに対して,彼らの活動記録が自由学園にこれだけ現存していることは大変貴重であり,自由学園とのつながりを一つのきっかけとして深化せられた彼らの思想の一端をそれらの記録から垣間見ることができたのはこの研究の大きな成果の一つであったと思います.
自由学園が創立100周年を迎えるいま,学園の戦後の歩みの中で『京都学派』の人びとがたしかに関わり続けたこと,またその過程でそれぞれが独自の思想を展開したという事実とその重要性がこの研究を通して少しでも知られるきっかけになればなによりです.
本研究に取り組むにあたって,6年半にわたりご指導くださいました嘉指信雄教授と茶谷直人教授をはじめ,資料提供などにご協力いただいた学園教職員の皆さま,ご支援いただいた関係者のすべての方々にこの場をお借りして心より御礼申し上げます.」
※昭和30年(1955)年夏に創立者の羽仁吉一先生が女子学部卒業生の生涯にわたる学びを願って始められた夏期限定の集中講座(同63年まで継続).女子学部卒業後1-2年目の卒業生が受講対象で,このために日本各地から自由学園へ帰ってきた卒業生たちは,約三日間,人文学から自然科学までさまざまな分野で活躍する専門家・研究者の講義を聴く機会に恵まれた.
文:遠藤敏喜(学部教員)