9月5日(土)「みんなの日」:創設10周年記念の集い/「みんなの日」の様子 - 一貫教育の【自由学園】/ 幼稚園・小学校・中学・高校・大学部・45歳以上

9月5日(土)「みんなの日」:創設10周年記念の集い/「みんなの日」の様子 - 幼稚園・小学校・中学・高校・大学部・45歳以上【一貫教育の自由学園】

「みんなの日」の様子

9月5日(土)「みんなの日」:創設10周年記念の集い

2026年9月15日

9月5日(土)の9月の「みんなの日」は創設10周年記念して行われた。午前は創設10周年を記念した記念講座を記念講堂で、午後は「リビングアカデミー創設10周年の集い」を最高学部食堂で行った。

午前の部

午前の部の出席者は110名。

はじめに、石川リーダーの司会で礼拝が行われ、讃美歌285番「主よ、み手もて ひかせたまえ」を賛美した。  

<ご挨拶:高橋和也最高学部長>要約

リビングアカデミーは、高齢者が増加する社会において、高齢者が元気に社会参加し、仲間とともに生きるための場をつくりたいという願いから始まり、11年目を迎える現在、大きく発展している。その歩みは、自由学園の創立者である羽仁夫妻が掲げた「一生涯学び続ける学校」という構想を現代に受け継ぐものであり、自由学園にとって重要な事業の一つである。

羽仁夫妻は明治36年に「家庭之友」の刊行を始め、明治41年には「婦人之友」と改称して婦人之友社を設立した。その活動と並行して、画一的な教育ではなく、真に実力を身につけられる学校をつくることを構想した。幼い段階から学びを始め、学校を発展させながら、生涯にわたって学び続ける教育を目指したのである。そこでは、学ぶ者が同時に教える者にもなり、誰もが先生であり生徒でもあるという考えが大切にされていた。学びには終わりがないという理念は、今日のリビングアカデミーにも通じている。

また、リビングアカデミーは一般的なカルチャースクールとは異なり、「ソーシャル」、すなわち社会とのつながりを重視している。授業を受けて自分自身が豊かになるだけではなく、学んだ人々が共に生きる中で周囲に良い影響を与え、社会に働きかける存在となることを目指している。実際に、参加者が子どもたちとの交流やさまざまな活動に関わることも、その理念の具体的な表れである。

こうした考えの根底には、羽仁夫妻が抱いた「より良い世界をつくりたい」という願いがある。キリスト教信仰に立ち、「神の国」の実現に向けて、自らの教育論を示すだけでなく、教育や出版、友の会などの活動を通して社会全体をより良くしようとしたのである。さらに、教育における「自由」を単なる子どもの自由にとどめず、神の前で人間がどう生きるかという精神的(宗教的)な自由まで含めて考えた点にも特徴がある。

リビングアカデミーは、このような自由学園の教育理念を生涯学習の場として実践するものである。10年を超えて発展してきた現在、その価値を支えているのは参加者一人ひとりの学びと社会への関わりであり、これからも学び続ける場として歩みを重ねていくことを期待している。創設10周年を迎えられ、おめでとうございます。

<10周年記念講座『リビングアカデミーの源流を訪ねて~1932年ニース講演にみる自由学園の教育~』村上 民氏>要約

創設10周年記念の教養講座は、村上民氏(自由学園図書館長)に『リビングアカデミーの源流を訪ねて~1932年ニース講演にみる自由学園の教育~』と題してお話していただいた。

リビングアカデミーと自由学園の生涯学習

リビングアカデミー(LA)は、当初「45歳以上のための学校」として始まったが、現在では年齢による制限を外し、文字通り「学び続ける人のための学校」へと発展している。10年間の歩みを経て11年目を迎えたLAは、1930年代に自由学園が構想した「生活大学」にも通じるものであり、その大きな特色は、単なる講座の集合ではなく「学校」である点にある。そこで学ぶことは、自分自身を豊かにするだけでなく、人との関わりを通して社会に働きかけることにつながるのである。

このLAの理念を考える上で重要なのが、自由学園創立者である羽仁もと子・吉一夫妻の教育思想である。夫妻は雑誌「家庭之友」「婦人之友」の出版を出発点として、1921年に自由学園を創立した。女子中等教育から始まった学校は、次第に小学校、男子中等教育へと広がり、戦後には最高学部も設けられ、現在の一貫教育へと発展した。1930年代初頭には、卒業生が消費組合、セッツルメント運動、美術工芸などの社会活動を始め、学校で得た学びを社会に生かす動きも広がっていた。

ニース講演と「教育によって社会を変える」という思想

1932年、羽仁もと子はフランスのニースで開催された新教育連盟世界会議に日本代表の一人として参加した。この講演は、自由学園創立から約10年の実践を踏まえたものであり、吉一はそこに自由学園の「教育憲章」が示されていると評価した。会議のテーマは「教育と変遷する社会」であり、国際情勢が大きく変化する中で教育に何ができるのかが問われていた。

当時、日本は満州事変後の緊迫した国際情勢にあり、教育によって社会を良くし、平和を実現できるのかが重要な課題となっていた。もと子は、教育は社会の変化に単に適応するためのものではなく、教育によって次の時代を創り出すべきであると主張した。そして、真の人間教育と自由教育は、宗教を土台としなければ成功しないと考えたのである。しかし当時の日本の新教育関係者からは、教育は社会の力に比べれば無力であり、社会に適応する教育が必要だ、また宗教のような目に見えないものを教育に持ち込むべきではない、といった反論も受けた。自由教育と宗教を結びつけるもと子の考えは、当時としては決して一般的ではなかったのである。

もと子はこの講演のため、ジュネーブに滞在し、国際連盟関係者らの協力を得ながら原稿を英訳した。1932年5月に日本を出発し、12月に帰国する約半年間の旅であり、欧州や米国で教育関係者、キリスト教関係者、有識者らと交流し、学校を見学した。こうした国際的な交流を通じて、自由学園の教育実践を海外に伝えようとしたのである。

学校を「一つの社会」としてつくる

ニース講演の題名は「それ自身、一つの社会として生き、成長し、そして働きかけつつある学校」であった。もと子が学校づくりを志した背景には、当時の学校教育への強い問題意識があった。知識を教師から一方的に注入し、子どもがそれを覚えるだけの詰め込み教育では、自ら考え、現実の社会を生きる力が育たないと考えたのである。

しかし、自分の子どもだけを育てるのであれば家庭教師をつける方法もある。それでも学校をつくったのは、子どもは家庭という閉じた空間だけではなく、社会の中で他者と関わりながら育つ必要があると考えたからである。学校とは、独立した人格を持つ一人ひとりが互いに助け、助けられながら、小さな社会を形成する場所でなければならない。学校そのものが一つの社会となり、そこからより大きな社会へつながっていくことが目指されたのである。

自立と協力による「生活する学校」

自由学園では、子どもたち自身が自分の生活を担うことを重視した。入学前の子どもたちに「自分のことは自分でする」生活を提案し、料理や掃除など、それまで家庭で他人に任せていた仕事にも取り組ませた。さらに5、6人ほどで「家族」をつくり、性格や能力の異なる者同士が協力しながら、食事、掃除、健康管理、勉強などを行った。

ここで重要なのは、単なる「協力」ではなく、その前提として一人ひとりの「独立」が求められたことである。他者に頼り切るのではなく、自分の責任を果たした上で互いに助け合うことが目指された。意見の対立や生活上の問題が起こると、それを皆の前に出して話し合い、共同生活をより良いものへと作り直していった。この経験そのものが、社会をつくるための学びとなったのである。

自学・表現・社会への働きかけ

教師の役割も、知識を一方的に教えることではなかった。教師は子どもの中にある「学びの芽」を見つけ、それを温かく導き、伸ばす存在とされた。そのため、単に教員免許を持つだけではなく、専門分野を愛し、子どもの学びを支える力量を持つ専門家が教師として招かれた。

子どもたちは「自学」、すなわち自分で学ぶことを重視し、生活や勉強の記録をつけ、自分がどのように学んだかを振り返った。そして、学んだことを劇、展示、口頭発表などによって自分の言葉や身体で表現し、互いに批評し合った。このように、学習を受け身の知識習得に終わらせず、自分で考え、実践し、表現するところまでを一つの学びとしたのである。

この学びは卒業後にも続いた。卒業生たちは自分たちでグループをつくり、消費組合運動、農村への活動、美術工芸など、さまざまな社会活動を展開した。もと子は、学校が社会に適合する人材を送り出すだけでは不十分であり、学校自身が一つの社会として新しい人間関係や社会のあり方を生み出し、それを社会へ広げていくべきだと考えたのである。

自由とキリスト教、そして現代への継承

ニース講演のもう一つの重要な柱が、自由教育と宗教の関係である。もと子は、自らの信仰を教育の根底に置きながらも、宗教を子どもに強制することは避けた。知識の詰め込みと同様、宗教の詰め込みも避けるべきだと考えたのである。自由学園では当初、礼拝も行われず、もと子が日々の生活や人間関係の中で、自らの信仰に基づく人間観を語り、子どもたちがそれを聞き、自分の考えや疑問を自由に語るという形が取られた。その後、子どもたち自身が礼拝を望むようになったのである。

もと子にとって自由とは、単に何をしてもよいという意味ではない。神を絶対的な存在として認めるからこそ、人間同士は対等に自由であり、互いの人格を尊重できるという考えであった。人と人、民族と民族、国家と国家が互いを尊重できなければ、平和な社会は実現できない。だからこそ、本当の新しい社会をつくる力は教育にあると信じたのである。

この思想は、現代のリビングアカデミーにもつながる。学ぶことを自分だけの成長に終わらせず、人と交わり、互いの力を生かしながら社会に働きかけること、そして一人ひとりに与えられた力を信じ、より良い社会と平和の実現に貢献することが、自由学園の教育理念の今日的な意味である。10年を超えて発展してきたリビングアカデミーも、この長い教育の歩みに連なりながら、参加者自身の学びによって新たな価値を生み出していく場であり続けることが期待されるのである。

<諸報告>

  • 11月22日(日)のLA祭について
  • 10周年記念募金について
  • 10月10日(土)の体操会について
  • 文集『LAとわたし』について

 

午前の部終了後、最高学部食堂前で事務局スタッフを中心に生活体操をした。

<昼食> 

昼食は、最高学部の食堂でお皿に各テーブルで盛り付けをしていただく。メニューは、

赤飯、鮭の七味焼き、なす、オクラ、トマトのみぞれ和え、白いんげん豆の甘煮、きゅうりの塩もみ。

午後の部

午後の部の出席人数は在校生96人、講師6名、休学者8名、旧スタッフ5名、教職員スタッフ7名の合計122名

<リビングアカデミー創設10周年の集い>

午後1時30分から、最高学部食堂で「創設10周年記念の集い」を在校生以外に、講師の先生方やかつて在校されていた方々をお招きして行った。内容は以下の通り。

1.ご挨拶: 石川章代リビングアカデミー・リーダー

2.ご挨拶、募金へのお礼: 村山順吉理事長

              10周年募金委員 武藤 悟(9期生)

3.祝辞: 講師代表 谷岡 清先生

4.創設当時を振り返る: 元リビングアカデミー・リーダー 中村祐二

  (LA設立基本構想・設立準備室の模索・新入生74名でスタート・LAを形づくる自由学園の文化・継続受講生がLAを形づくる)

5.協力委員会の思い出: 小林伸江さん、千葉昌信さん、鈴木健司さん、小西晶雄さん、恵良泰夫さん。

6.10年の歩み スライドショー

7.自由歓談

8.LA賛歌

お土産に、今回作成した文集『LAとわたし』と紅白まんじゅうを用意しました。

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