学部教員が土木史研究発表会で口頭発表をしました/研究・実習 - 自由学園 最高学部(大学部)/ 最先端の大学教育

学部教員が土木史研究発表会で口頭発表をしました/研究・実習 - 最先端の大学教育【自由学園 最高学部(大学部)】

研究・実習

学部教員が土木史研究発表会で口頭発表をしました

2022年6月18日

6月18日、19日にオンラインで開催されている土木学会の第42回土木史研究発表会で、学部教員の吉川が “埼玉県飯能市「正丸峠」の成立・変遷と歴史的土木構造物の残存状況に関する調査” と題して25分間口頭(オンライン)発表しました。また講演論文が『土木史研究Vol.42』に掲載されました(小田との共著)。

 

発表で用いたスライド

 

内容はタイトルの通り、前半で埼玉県飯能市と横瀬町の境に位置する「正丸峠」の成立と変遷、後半で現地に残存する開通当時のものとみられる歴史的土木構造物の残存状況に関する調査結果をまとめたものです。
正丸峠は、古くは江戸から秩父を経て甲州へと至る「秩父甲州往還」のルートの一つ、「吾野通り」として成立したとされます。吾野通り(旧正丸峠越え)は江戸と秩父を結ぶ最短経路でしたが、昭和初期まで車馬の通行は不可能でした。明治に入り、道路改良が検討されますが実現に至らず、その後半世紀を経た1936(昭和11)年に現在の自動車通行が可能な道路が開通しました。その後、1982(昭和57)年に「正丸トンネル」が開通すると、主要ルートとしての役割を譲り、以来旧道扱いとなり現在に至ります。本研究では各種資料を基に、戦後から現在に至る過程も含め一体的かつ通史的に正丸峠越えを巡る「土木史」について取りまとめました。
続いて、現在の正丸峠付近の道路において、旧式の横断工作物(溝橋、暗渠等)が残存していることが確認できたことから、周辺区間も含めて15.1kmの区間の69ヶ所全て調査したところ、開通当初のものとみられる複数の歴史的土木構造物が確認できました。その結果に加え、これらの遺構の建設時期の推定、またこうした遺構が残存した理由についての考察を加えました。またかつての正丸峠越えの苦労を今日に伝える土木遺産としての価値があると考えられることから、更なる調査の必要性、地域での活用の可能性についても示しました。

 

講演用論文が掲載された『土木史研究Vol.42』

 

スライドの一部(調査調査結果)

 

今回、対象に注目した経緯としては、自由学園名栗植林地がこの正丸峠に程近く、植林地の踏査を通じてこうした構造物を確認したことがきっかけです。このことから改めて名栗植林地も位置する「正丸峠」という場所についての歴史・変遷を確認することにしました。既刊の『自由学園一〇〇年史』の「第Ⅲ部第6章 植林活動」、並びに最高学部の研究誌『生活大学研究」Vo.7の「自由学園植林活動80年通史」から派生した研究と位置付けられます。
今後も同テーマについては研究を継続するとともに、自由学園の活動が展開する地域での研究を深め、地元をはじめ社会への還元を進めていきたいと考えています。

 

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学部教員が土木史研究発表会で口頭発表をしました(2021年度)
『生活大学研究」Vo.7の「自由学園植林活動80年通史」

 

文・写真:吉川 慎平(最高学部教員・環境文化創造センター長)

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