5月9日(土)、午前10時より、ひと月に一度リビングアカデミー(以下LA)生全員が顔を合わせる「みんなの日」が、記念講堂で行われ、118名(zoom参加なし)が集まった。
はじめに、石川リーダーの司会で礼拝が行われ、讃美歌122番「みどりもふかき」を歌った。
<「忘れられない人々」7期生・横山美津子さん>
「みんなの日」には、毎回最初にLA生のお一人から「忘れられない人々」をテーマにお話を伺っている。今回は7期生の横山美津子さんが着物好きの人の集まるコミュニティで出会ったKさんについてお話しをされた。
私は、着物好きの人の集まるコミュニティでKさんと出会った。Kさんを含めコミュニティの仲間3人で旅行をしたり、お互いの家を訪ねたりたくさんの楽しい思い出がある。Kさんは、センスのかたまりのような方で、着物の着こなしも素晴らしく、多才で鳥や花の名前にも詳しいだけでなく、ドライブレコーダーを自分で車に取り付けたこともあった。病気に罹ってからも、いつも明るく弱音を吐いたことがなかった。そんなKさんが一昨年61歳で亡くなった。Kさんの形見の着物と帯をつけてお話をさせていただいた。

<教養講座『東久留米とその周辺-土地の履歴とまちづくりの系譜-』杉原弘恭氏>概要
今年度2回目の教養講座は、杉原弘恭氏(元最高学部特任教授・東久留米市環境審議会前会長)にお話を伺った。
自由学園は、5~6万年前に古多摩川が作った谷の上(武蔵野台地面)と下に位置している。その谷の中を3本の川が流れているが、その源はすべて湧水である。その湧水はスポンジ状の関東ローム層から湧き出ていて、その源は雨水の浸透によって涵養された地下水である。近年、農地の減少や地表面の舗装によって湧水は減少傾向にある。
その立体的な南と北の崖の地形を、古代から1960年代頃までは、まだ自然と共生していたヒトは長期的に利活用できるように生業の中で保全を図ってきていた。河童に引き込まれる、祟りがあるなどは近づかないようにして水源汚染を防いでいた面がある。(1945年頃の豊かな自然は,東久留米市HP「第3次緑の基本計画」pp.10-12のコラムを参照。)
「水あるところ人の住む」「神社あるところ水の湧く」をキーワードに古代からの歴史を振り返った。
東久留米とその周辺の歴史は、水と地形・地質、それに伴う動植物と人々の営みが重なり合って形成されてきた。先土器時代、縄文時代から近年まで、三つの川の周囲でヒトは生活を行い村を形成した。旅人には水場となり、交易や舟運も行われる。洋の東西を問わず、大規模な給水システムがない時代は水がなくなるとムラは無くなった。
戦前、川のない武蔵野台地面に数多の軍需工場があった。それは豊富な地下水堆があったからで、戦後に軍需工場の跡地は、団地や小学校になって、多摩川・荒川からの水道とブレンドされる近年まで各所で地下水を汲み上げて利用していた。
大正期の鉄道の電化は、運賃収入のため、各鉄道会社の郊外での住宅開発や学校誘致をもたらし、関東大震災の影響もあって郊外開発は進んだ。武蔵野鉄道(現西武池袋線)の電化に伴って自由学園も現在地での展開となる。「ガスはないが電気はきていて、井戸からはよい水が出る」「お店はないが自由学園消費組合による日用品の供給」というのが当時、自由学園が行った学園町の分譲案内である。自由学園、学園町もまた地下水に依存していた。
当時の新教育・新学校の取り組みは、そのような新天地を得て盛んとなるが、「男の子は成城に、女の子は自由学園にといわれた」(小原國芳)、その成城のまちづくりと比較を行い、時代的・思想的背景を探った。自由学園は、地域へ農村セツルメントを行いつつ、学園町では現代でも世界的に推進されているコレクティブ/コ・ハウジング的な取り組みを行っていたことはユニークである。
最後の地域歴史編は、「水あるところ人の住む」「神社あるところ水の湧く」のキーワードをベースに、この周辺の豊かな歴史を語る予定であったが時間切れになってしまった。この周辺に点在する(西洋人のような思考をする)在原業平の東下り伝承や著名なものが豊富にある。新羅人(新羅郡→新座市)による水利開発の可能性もあって、氷川神社の分布などからも、スサノオは鉄と高度な土木技術を持つ渡来人集団の象徴とも考えられ、古代スリランカの灌漑技術が日本へ伝わった可能性も指摘される。当時の朝鮮半島3国の盛衰は日本と関わり合いが深く、当初専門職として歓迎された渡来人は、その後の難民増加や反乱から受け入れ拒絶に至るさまは現代を彷彿とさせる。
「歴史家の仕事はただ事実を示すだけである」とし「近代歴史学の父」とされるランケは、「神は人類のすべての時代の価値を平等に見ていることから、先行する時代が次の時代より劣っているとみなす歴史観を持ってはならない」としたが、学問とキリスト教を切り離したがる日本では後段がカットされる。郷土史研究も行政区画に限定せずに、川や地形でつながる広い地域に視座を置くと色々と見えてくるものがある。

教養講座終了後、LA賛歌を皆で歌った。
<諸報告>
- 自由学園スクールシンボル(自由学園の木・花・鳥)の紹介。
- 個人情報記入表及び情報取り扱い承諾書について。
- 欠席連絡の徹底について
- 10周年記念募金委員より
その後、初等部前芝生で生活体操を行った。
<昼食・自己紹介>
初等部食堂で家族ごとにテーブルを囲んで手作りの昼食をいただく。メニューは、筍ご飯、鮭の塩焼き、お浸し(小松菜その他)、金時豆の甘煮で、筍は学校の筍を使った。
<午後の集い:家族ごとのミーティング>
午後は13時40分より14時過ぎまで、11期生自己紹介の1回目で5名の方が自己紹介をした。
その後15時半までは、先月に引き続いて、11の家族に分かれてミーティングの時間をとった。家族の目的の「交わりを深める」ためにできることなどをそれぞれ考え、具体的な計画を立てられた家族もあった。
















