6月13日(土)「みんなの日」/「みんなの日」の様子 - 一貫教育の【自由学園】/ 幼稚園・小学校・中学・高校・大学部・45歳以上

6月13日(土)「みんなの日」/「みんなの日」の様子 - 幼稚園・小学校・中学・高校・大学部・45歳以上【一貫教育の自由学園】

「みんなの日」の様子

6月13日(土)「みんなの日」

2026年7月1日

6月13日(土)美しい新緑の中、午前10時より、ひと月に一度リビングアカデミー(以下LA)生全員が顔を合わせる「みんなの日」が記念講堂で行われ、118名が集まった。

はじめに、石川リーダーの司会で礼拝が行われ、讃美歌312番「いつくしみ深き」を歌った。  

<「忘れられない人々」7期生・時田 五月さん>

「みんなの日」には、毎回最初にLA生のお一人から「忘れられない人々」をテーマにお話を伺っている。今回は7期生の時田五月さんが落語家・七代目立川談志についてお話された。

私は小さい時に父と一緒にそのころ放映されていた「大正テレビ寄席」で立川談志を見たことがあった。その後長寿番組の「笑点」を始めたことなどもよく知らなかったのだが、30代のころに、たまたま「立川談志ひとり会 国立演芸場」という広告を目にして、見に行きたくなって一人で見に行った。そこで師匠の話芸の素晴らしさと落語の魅力に引き込まれた。それをきっかけにひとり会に行くようになり、師匠が亡くなる2011年まで見られる高座はほとんど見に行った。私がなぜ忘れられないかというと、落語もさることながら、導入の枕での話が印象に残っている。「男は弱い生き物。女の人は男の人に優しくしてあげて」「酒が人間をダメにするんじゃない。酒は人間がダメなもんだということをわからせてくれる」「人間にははじめから人に役立ちたいというDNAが入っている」「向こう三軒両隣をみんなが上手に付き合っていけば、世の中もっとよくなるのに」「日本は豊かになったが、世界には飢餓に苦しむ多くの人がいる。日本人も幸せの基準を考え直してみませんか」。師匠から物事をいろいろな方向から見ることを教わった。

<教養講座「『南澤学園町の歴史と未来』ネイバーフッドデザインの視点から」荒 昌史氏>(要約)

この日の教養講座は荒 昌史氏(HITOTOWA INC.代表取締役、自由学園最高学部非常勤講師)より、「『南澤学園町の歴史と未来』ネイバーフッドデザインの視点から」と題してお話された。

南沢学園町とは何か

南沢学園町は現在の東久留米市学園町にあたり、約100年前に自由学園が構想し開発したまちである。今日、自由学園を訪れる人々の多くは、この南沢学園町を通って学園へと向かっている。この地域は単なる住宅地ではなく、自由学園が教育理念を地域全体で実現しようとした実験的なまちであった。私自身もこのまちに魅了され、自治会活動や教育活動、さらには地域に根差した事業を通じて、その価値を次世代へ伝えようとしている。

自由学園がまちをつくった理由

自由学園は1920年代、池袋から現在の地へ移転した。当時この地域は農地や松林が広がる武蔵野の原風景を残す場所であった。学園はキャンパスだけでなく周辺地域も計画的に開発し、「南沢学園町分譲地区割図」を作成した。区画は一戸あたり約250坪という広さで、自然環境を維持できることを前提としていた。住宅開発そのものが目的ではなく、武蔵野の自然を守りながら暮らす人々によって形成される地域社会を目指したのである。

「教育的なまち」という理想

羽仁もと子は、「自然気風のよい教育的な一つの村になりましょう」と語っている。この言葉の明確な定義は残されていないが、私は「学園で学んだ子どもたちが、まちへ出たときに、自らの学びを実践している大人たちに出会えるまち」と解釈している。つまり教育は校内だけで完結するものではなく、地域全体が教育の場であるという考え方である。自然豊かな環境の中で暮らし、人々が互いに支え合う姿そのものが、子どもたちへの生きた教育になるという発想であった。

地域とともに歩んだ学園

自由学園では1930年代から「農村セツルメント」と呼ばれる地域活動が行われた。生徒たちは地域住民向けの衣食住講習会や副業支援、子ども会、託児所運営、野菜の共同販売、映画会、運動会の開催など、多様な活動に取り組んだ。これらは学校が与えた課題ではなく、生徒自身が地域の課題を見つけて実践したものであった。その目的は単なる地域貢献ではなく、生徒が地域の大人たちと共に学び、社会をより良くする経験を積むことにあった。この精神は現在も地域活動や自治会活動の中に受け継がれている。

建築に込められた思想

自由学園の建築は、世界的建築家であるフランク・ロイド・ライトと、その弟子である遠藤新らによって設計された。自由学園明日館は世界的にも高く評価されているが、南沢学園町にもその思想は受け継がれている。大きな窓や深い軒、自然光を取り込む工夫など、人と自然とのつながりを大切にした建築が多く残されている。また、学園施設は当初から地域住民に開かれており、結婚式や集会、お祭りなどにも利用されていた。学園と地域が一体となることを建築そのものが支えていたのである。

自然環境と景観の価値

南沢学園町の魅力は建築だけではない。松林や庭木、農地、湧水などの自然環境が今も残されている。しかし近年、相続や宅地開発によって広い敷地や緑地は徐々に減少している。また、東久留米を特徴づける湧水も減少傾向にあり、落合川の水量は最盛期の約3分の1にまで減ったとされる。庭や農地は単なる個人の所有物ではなく、水循環や生態系を支える重要な役割を果たしている。自然環境を守ることは景観保全だけでなく、地域の持続可能性そのものに関わる課題となっている。

学園町憲章と住民自治

こうした危機感から、2008年に「学園町憲章」が制定された。憲章では、まちを愛し育むこと、協力して良好な街並みを守ること、豊かな緑を保全すること、小鳥や小動物と共生できる環境を維持することなどが掲げられている。法的拘束力はないが、この理念を基軸として自治会活動が続けられている。防災活動や防犯活動、緑地保全などを通じて、住民自身がまちの価値を守ろうとしているのである。

未来へ受け継ぐために

私は、まちの理念を守るためには啓発活動だけでなく、土地利用や住宅開発といった経済活動にも関わる必要があると考え、不動産事業を立ち上げた。相続や宅地化は避けられない社会的現実である。しかし、その中でも樹木や景観を残し、地域の歴史や価値を尊重した開発は可能であると考えている。さらに地域の農家との協働や、こども向け映画の上映会や清掃活動などを通じて、人と人とのつながりを育む活動も続けている。こうした取り組みは、自由学園が目指した「教育的なまち」の現代的な継承といえる。

結び 南沢学園町は、単なる住宅地ではなく、教育・自然・建築・地域社会が一体となって形成された希少なまちである。その価値は建物や景観だけでなく、人々が共有してきた理念や暮らし方の中にある。子どもたちが「こんな大人になりたい」と思える大人たちが地域に存在し、自然や文化を次世代へ手渡していくことこそが、このまちの本質である。羽仁もと子の「良いことは必ずできる」という言葉のとおり、一人ひとりがまちの未来に関わることで、南沢学園町の価値はこれからも受け継がれていくのである。

講演後、LA賛歌を歌った。

<諸報告> 

1.創設10周年記念募金の状況報告

2.LA祭のこと

3.3月教養講座講師・下館和巳氏紹介の劇の紹介

4.羽田澄子氏の映画の紹介

5.6月20日(土)の学部祭について

教養講座終了後、スタッフの酒本の指導で生活体操を行って午前の部を終了した。

<昼食>

初等部食堂で家族ごとにテーブルを囲んで手作りの昼食をいただく。メニューは、コーンライス、ミートローフ、グリーンサラダ、プチトマトで、ミートローフとサラダに土の会の玉ねぎを使いました。

<午後の集い:応急救護の方法の講習と避難訓練>

午後は13時30分より、11期生8名の自己紹介を皆で聞く。

14時からは田無警察署の方3名から日頃の生活で注意をした方がよいことについてのお話を伺った。前半は高齢者が生活の中で注意すること、後半は自転車の利用について注意することについて、それぞれ動画を使ってお話をしていただいた。

その後、方面別グループの顔合わせを行い、続いて、地震を想定した避難訓練を行った。身を低くしてかがみ、初等部運動場に避難。家族ごとに揃って点呼を行った。

その後、解散した。

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