学生時代の夏の思い出を夏休み冊子に寄稿してほしいとの依頼を学生委員から受けました。「夏休み学期」と呼んでいるこの冊子、今年は力がこもっており、夏の行事や事務的連絡に加えて、事前アンケートによって回収された学生や教員からの「おすすめの1冊」、「おすすめの映画」、「おすすめの旅先」などが並びました。教員の「学生時代の夏休みの思い出」もそのような企画の一つでした。長文でもよいとのことだったので、忘れられないインドでの20歳の夏の体験を記しました。

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「インドの村での20歳の出来事」
1982 年、学部 3 年のときのこと。20 歳の私は 1 学年下の友人岡田俊輔君と2人、南インドのオダンチャトラムという村にあるキリスト教系の病院で約3週間を過ごすスタディーツアーに参加する機会を得ました。
引率してくださったのは日本の在宅医療の開拓者で当時の自由学園の校医佐藤智先生と20代だった夏井正明先生でした。初めての海外体験だったこともあり、このときのインドでの様々な経験は、私のその後の人生に大きな影響を与えるものとなりました。
インドに到着したその日、空港を出た私たちを迎えたのは花束を抱えた「歓迎ムード」の幼い子どもたちでした。先を行く先生方からやや遅れて、私は一人子どもたちに取り囲まれました。花を突き出し手のひらを差し出す子どもたちの口から出ている言葉が「Sir」であること、それが歓迎ではなく必死の物乞いであることを理解するまでにしばらく時間がかかりました。
滞在中、丘の上の寺院につながる道端でも物乞いをする人たちを見かけましたが、「施しを受けやすいように幼いときに親が子どもの腕や足の骨を折ることがある」という説明は衝撃的でした。
村では子どもたちから「ジャパーン!ジャパーン!」と声をかけられることがよくあり、そのたびに自分が日本人であることをあらためて感じました。それは多くの場合、朝の礼拝に遅れないようにと、病院へ道を走っているときであったように思います。インドでは走っている人をほとんど見なかったようにも思います。車道では車よりも牛の群れが「優先」されていたことにも驚きました。
このような様々な思い出の中で、最も印象深く心に残っている出来事は、「ヴィレッジクリニック」と呼ばれる巡回診療に同行させていただいた小さな村での一つの失敗の思い出です。
ドクターたちは病院での診療に加え、古いバンに医療器具や薬を積み込み、病院に足を運ぶことのできないお母さんや子どもたちのために定期的に村々への巡回診療を行っていました。ドクターが診療する間、集まってくる子どもたちと遊ぶのが私たち学生の役割でした。

初めて巡回診療に行った時に、私たちはソーシャルワーカーに教えられるままに赤茶けて乾燥しきった地面に 15、6 人の子どもたちと一緒に輪になって座り、「オラゴリア・ムンドゥリカ」という「ハンカチ落とし」ならぬ「シャツ落とし」(ハンカチの代わりに 1人の子どもの脱がせたシャツを使うもの)をすることになりました。

子どもたちはうれしそうに私たち 2 人の日本人を狙ってシャツを落とし、狙われた私たちは砂ぼこりの中、何度も子どもたちの輪の周りを走り続けることになりました。
この遊びに終わりはなく、しかも、シャツを持って走り回る人と輪になった人が交互に、「オラゴリア・ムンドゥリカ」・「イエン・ペイル・ラシカ」と声を掛け合うというものだったため、私たちは喉も枯れ、体中汗と砂にまみれ、もうへとへとでした。そんな私たちの様子を見て、子どもたちはますます楽しそうでした。ようやくドクターたちの診察が終わり、引き上げの合図が出されたときには本当にほっとしました。遊びは1時間ほど続きました。
逃げ込むように私たちはバンに乗り込みましたが、そのとき予想外のことが起こりました。輪になっていた子たちが別れを惜しみバンの周りに駆け寄り、走り出そうとする車の窓にしがみつき、バンパーの上に乗りかかり、「タタータター」(タミル語で「バイバイ」)と大歓声を上げて見送ってくれたのです。子どもたちは動き出した車をいつまでも追いかけてきました。心が通い合ったことが感じられ、泥にまみれながらも充実した疲労感に満たされました。
しかしその後、2 回目に巡回診療に同行したときには、私は体調を崩した後だったこともあり、あの泥まみれの遊びはかなわないと思い、子どもたちと一緒に折り紙を折ることにしました。子どもたちはすぐに興味津々の表情で日本人の周りに集まってきました。ところが折り紙を配り始めると、まったく予想していなかったことが起こったのです。子どもたちは「一人一枚持ったら座りなさい」と言ってもお構いなしで、何度も折り紙に手を伸ばし、取り合っては破れた紙があたりに散乱する、という惨状が延々と続いたのです。子どもたちにとって四角くきれいな紙は珍しいもので、その紙を手に入れることに夢中になってしまったのです。
子どもたちは紙を意味する英語を「ニュースペーパー」と理解していたようで、手を伸ばしては口々に「ワンニュースペーパー」と声を上げ、私たちはわずかなタミル語知識で「ウッカルンガ」「ウッカレ」(座りなさい、座れ)を空しく繰り返すばかりでした。結局この大変な事態を収拾することはできませんでした。
そしてやっとドクターの「帰るよ」との声がかかった瞬間、また驚くべきことが起こりました。私たちの手の中の折り紙に群がっていた子どもたちが、蜘蛛の子を散らしたといった様子で一人残らず消えて行ったのです。沈黙の中、破れて地面に散らばった折り紙を拾い集め、私たちはバンに乗り込みました。子どもたちの心を乱してしまったこととドクターたちへの申し訳なさでいっぱいでした。帰りのバンの中は重苦しい沈黙となりました。
「オラゴリア・ムンドゥリカ」の後に心が通ったのは一体なぜなのか。「折り紙」が子どもたちの心から何を引き出したのか。人と人、物と人の本当によい関係とはどのようなものなのか。豊かさとは何か。20 歳の夏、私は様々な問いを抱えて日本に帰ってきました。あれから 40 年以上が過ぎましたが、私は今もインドの子どもたち、お世話になったドクターたちへの感謝と懐かしさを抱えつつ、このインドの小さな村から続く道を歩いています。
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今日から2週間の日程で、学生たちがネパールワークキャンプに出発します。最高学部の学生がネパールでの植林を始めて36年目。昨年はナショナルカレッジの学生たちと協働して植林活動を行い、今回は新たに、村の食生活改善のための栄養調査を行う予定です。村でのホームステイも組み込まれています。個人旅行では経験できないこのプログラムを通じ、よい交わり、よい経験ができることを願っています。9月に報告を聞くことが楽しみです。


















