ほとんど知識のないままに妻に誘われ北杜市の薮内正幸美術館に来ました。企画展「水辺の鳥」をみて、館長薮内竜太さんにたくさんお話を伺いました。我が家には妻が子どもたちに読み聞かせた薮内さんの作品がたくさんありましたが、私は驚きの連続でした。

サントリー愛鳥キャンペーンの鳥たち、広辞苑の動物と鳥の挿絵、絵本『日本の野鳥』シリーズ、『鳥のなき声ずかん』絵と文、『らちとライオン』のライオンの手紙、ガンバの冒険シリーズなどの表紙や挿絵などなど。見慣れたこれらの絵がすべて薮内正幸さんの作品だと知りました。
美術館で原画とともに目を引かれたのは、15歳のときの自作の鳥の図鑑でした。後の作品群はここから生まれたかと納得しました。
以下は薮内正幸さんの息子さんで美術館の館長の薮内竜太さんから伺ったお話しです。薮内正幸さんが絵本作家へと導かれるストーリーが印象的でした。
動物好きだった正幸少年は中学時代に、動物学者高島春雄さん、今泉吉典さんと手紙で交流。質問と共に描き添えられたイラストはレベルが高く、高島さんの著作にも使われたそうです。
今泉さんは国立科学博物館勤務を機に、世界中の哺乳類を図解する大図鑑を構想。引き受ける出版社のなかったこの計画に、福音館の松居直さんが賛同します。
今泉さんはこの研究的な図鑑の全イラスト担当者として、当時高校3年生だった薮内さんを松居さんに推薦します。
松居さんは薮内少年を口説きに大阪まで足を運びます。研究者志望だった薮内さんは、松居さんの熱心な説得に「改心」し、高校卒業とともに上京して福音館に入社します。そして大図鑑の出版準備に専念することになったそうです。1959年のことです。

しかしこの準備がまた今では考えられないものでした。
松居さんは、薮内さんを本物の動物画家に育てあげるべく、松居さんご自身の自宅に下宿させて寝食の面倒を見ながら、国立科学博物館の今泉さんの研究室に送り出されたそうです。
薮内さんは毎日、国立科学博物館に通い、資料室で動物の剥製や骨格標本のスケッチに明け暮れ、今泉さんから動物学の指南を受ける日々を過ごします。
薮内さんは、動物の多様な姿を、写真がなくても的確に描くことができたそうですが、それはそれぞれの動物を骨格の仕組みから理解するという、若き日のこの国立科学博物でのスケッチ修行の経験があったからこそとのことでした。
ところが残念なことに、その後1964年、福音館での『世界哺乳類図鑑』の出版計画は中止となり、薮内さんが描きためてきた多くのペン画は福音館でお蔵入りとなりました。薮内さんは失意から退職も考えたそうです。
翌年1965年、薮内さんは松居さんのすすめで『くちばし』で絵本デビュー。25歳でした。その後、次々と続く絵本作品がスタートします。
『エルマーと16ぴきのりゅう』に描いた「エルマーのぼうけんず(冒険地図)」や『らちとライオン』の中の、ライオンからラチへの手紙の文字も、この年、薮内さんが手がけたものだそうです。このお話しにもびっくりしました。

「エルマーのぼうけんず」は、出版から60年経った昨年、福音館で薮内版の原画が見つかったそうです。
肝心の世界哺乳類図鑑については、1965年、出版社を変えて「鯨類・鯖劇類」が東京大学出版局より発刊。1966年、新思潮社から『世界哺乳類図説』第一巻(単孔目・有目)、第二巻(食虫目・皮翼目)の挿絵として日の目を見ることとなりました。美術館ではその記念すべき3冊も見せていただきました。

正幸さんに子どもの頃から絵の才能があったことはもちろんですが、好きなことに時間を使うことができた環境があり、その「好き」を認めてくれる大人がいて、疑問を本気で受け止めてくれる素晴らしい人たちとの出会いがありました。その積み重ねが、正幸さんの人生を形づくっていったことを知りました。
薮内竜太さんのお話から、「大人は、すぐに役に立つか、将来につながるかで判断するのではなく、子どもの〈好き〉を応援してほしい」という熱いメッセージが伝わって来ました。

薮内さん、丁寧にご説明いただき、ありがとうございました。















