キース・ヘリングの願った平和/学部長ブログ - 一貫教育の【自由学園】/ 幼稚園・小学校・中学・高校・大学部・45歳以上

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学部長ブログ

キース・ヘリングの願った平和

2026年8月17日

マッチョで戦闘的な思考の男が、軍事力・経済力を誇示して、世界を制圧しようとしている。しかし戦火によって生み出された貨幣はゼロ価値であり、市民はNOと叫んでいる。まさに今この世界を風刺し批判する図柄に見えました。

中村キース・ヘリング美術館。第一室の最初の展示はキース・ヘリングの「サブウェイ・ドローイング」でした。

「サブウェイ・ドローイング」は、1980年代前半、キース・ヘリングがニューヨークの地下鉄駅の黒板にゲリラ的に描き回ったというパブリックアート作品とのことでした。

美術館のエントランスホールには、「平和月間の特別展示」として、キース・ヘリングが1988年に広島で開催されたチャリティーコンサート「HIROSHIMA ’88」のために制作したポスターが掲示されていました。

近くで見ると出演者には、杏里、オフコース、ブルーハーツ、南こうせつなどの名前が並んでいました。

ポスターの解説には、同年7月に広島平和記念資料館を訪れたヘリングが、日記に記したという次のような言葉がありました。

「1945年に作られた爆弾がこのような破壊を引き起こし、その後核兵器のレベルと数が強化されているというのは信じがたい。誰が再び望むのだろうか?どこの誰に?恐ろしいことは、人々が軍拡競争をおもちゃのように議論し、話し合っているということだ。彼らすべての男性は、安全なヨーロッパの国々の交渉のテーブルではなく、ここに来るべきだ。」

1988年7月28日「キース・ヘリング・ジャーナル」より

軍拡競争をおもちゃのように議論する「彼らすべての男性」(All of these men )が、マッチョな戦車頭の男に重なりました。

開催中の展示は、キース・ヘリングとケニー・シャーフの2人を紹介する企画展でした。最初の部屋はヘリング、次の部屋では二人の作品を見比べ、最後はシャーフという構成でした。

最後の展示室には2人の「ハイハイをする赤ちゃん」が並んでいましたが、戦車男との対比から、その無防備さ、無垢な輝きが、より大切なメッセージとして伝わってきました。

キース・へリングへの親しみを込めたケニー・シャーフの作品。

帰宅後にこの赤ちゃんがヘリングを象徴するモチーフ「Radiant Baby=光り輝く赤ちゃん=生命・希望・純粋さなどの象徴」であると知りました。

また広島訪問時、ヘリングはすでに自身がエイズであり、その命の時間がカウントダウンされていることを自覚し、広島に平和の壁画を描く意欲を持っていたことも知りました。

コンサート関係者と共に壁画候補地として原爆ドームの対岸にある本川小学校や建築中だった広島市現代美術館などを見て回っています。

しかし、広島での壁画制作は実現しませんでした。広島を訪れた翌月、正式にエイズと診断され、1990年2月16日、エイズによる合併症のため31歳で亡くなりました。

現在、広島市現代美術館には、ヘリングが死の2週間前に完成させたという《アルター・ピース》が展示されているそうです。そしてなんとその作品は、オノ・ヨーコから広島市現代美術館に寄贈されたものだということです。ヘリングの平和を願う強い思いを、オノ・ヨーコが代わって実現したことにも深い意味を感じます。いつかその作品を見たいと思います。

これまでキース・ヘリングは関心の外で、その生涯についても活動コンセプトについても全くの無知でしたが、世界中で戦争が続き、国内でもその足音が近づく中、考えさせられ引き込まれる展示でした。そして調べるほどに親しみがわいてきました。

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