白馬の山小屋でアルバイト中の学生S君から素晴らしい風景写真が届きました!ありがとう!

私も自由学園の高校・大学時代に、南アルプス南部の百間洞山の家で山小屋バイトをしたことを懐かしく思い出しました。今はなき大沢山荘からのルートを使っての荷揚げはなかなかハードでしたが、得難い思い出になっています。
「夏休み学期」には紹介できなかった、おすすめの「もう1冊」、星野道夫の『旅をする木』から、星野さんの素晴らしい言葉を紹介します。
氷河の上で過ごす夜の静けさ、風の冷たさ、星の輝き—–情報が少ないということはある力を秘めている。それは人間に何かを想像する機会を与えてくれるからだ。
子どもの頃に見た風景がずっと心の中に残ることがある。いつか大人になり、さまざまな人生の岐路に立った時、人の言葉ではなく、いつか見た風景に励まされたり勇気を与えられたりすることがきっとあるような気がする。
「ルース氷河」より
ある夜、友人とこんな話をしたことがある。—–
「いつか、ある人にこんなことを聞かれたことがあるんだ。たとえば、こんな星空や泣けてくるような夕陽を一人で見ていたとするだろ。もし愛する人がいたら、その美しさやその時の気持ちをどんなふうに伝えるかって?」
「写真を撮るか、もし絵がうまかったらキャンパスに描いて見せるか、いややっぱり言葉で伝えたらいいのかな」
「その人はこう言ったんだ。自分が変わってゆくことだって—–その夕陽を見て、感動して、自分が変わってゆくことだと思うって」
「もうひとつの時間」より
ぼくたちが毎日を生きている同じ瞬間、もうひとつの時間が、確実に、ゆったりと流れている。日々の暮らしの中で、心の片隅にそのことを意識できるかどうか、それは、天と地の差ほど大きい。
「もうひとつの時間」より
結果が、最初の思惑通りにならなくても、そこで過ごした時間は確実に存在する。そして最後に意味をもつのは、結果ではなく、過ごしてしまった、かけがえのないその時間である。
頬を撫でる極北の風の感触、夏のツンドラの甘い匂い、白夜の淡い光、見過ごしそうな小さなワスレナグサのたたずまい—–ふと立ち止まり、少し気持ちを込めて、五感の記憶の中にそんな風景を残してゆきたい。何も生み出すことのない、ただ流れてゆく時を、大切にしたい。あわただしい、人間の日々の営みと並行して、もうひとつの時間が流れていることを、いつも心のどこかで感じていたい。
そんなことを、いつの日か、自分の子どもに伝えてゆけるだろうか。
「ワスレナグサ」より
最後は雑誌「coyote」(November 2004 No.2)から。
—–僕が若い人たちに伝えたいこと、それはなるべく早い時期に、人間の一生(又は自分の一生)がいかに短いものかを感じ取ってほしいということだ。日々を生きる中、また将来を考える時、生と死の接点という感覚を持ち続けてほしいということだ。それは悲しいことでも何でもない。自分の持ち時間が限られていることを本当に理解した時、それは生きる大きなパワーに転化する可能性を秘めている。たった一度のかけがえのない一生をどのように生きてゆくのか、真剣に考えざるを得なくなるからである。
そして、もう一つ、好きなことに出会ったら、それを大切にしていってほしいと思う。「こんなことをやってみたい、いつかこんなふうに生きてゆきたい」—– そんな漠然とした憧れを大事にしていってほしい。なぜなら、人の一生の中で、自分の本当にやりたいことにそれほど何度も出会うことはないからだ。・・・

まもなく後半に入る夏休み。それぞれがよい日々を過ごせますように。















