シュタイナー学園訪問を機に、久しぶりにシュタイナー関係の本を手に取りました。まず開いたのは、シュタイナー学園の先生方とのお話しにあった『一般人間学』です。
「悪しき教育目標や悪しき卒業目標が国家によって定められています。それらの目標は考え得るかぎりでの最悪の目標です。それなのに人びとはそれを、考え得るかぎりでの最高のものだと思いこもうとしています。今日の政治は人間を型にはまったものとして扱い、かつてないほどまでに人間を型にはめこもうと試みています。陰で糸を引かねばならないあやつり人形ででもあるかのように人間を扱い、そうすることが考え得るかぎりでの最大の進歩を意味していると思いこんでいます。」
ルドルフ・シュタイナー
1919年、学校設立に際してシュタイナーが語った強烈なこの言葉には、1921年、文部省の管轄を避けて自由学園を創立した羽仁もと子の教育への志と響き合うものがあります。

この本はシュタイナーが学校を始めるにあたり、集められた教員に対して行った連続講義の記録です。「はじめに」の中に、あらためて深く心に響く言葉がたくさんありました。
「ヴァルドルフ学校は人間の全存在の要求に応える教育をしようと、ただそれだけを願い、その意味でのみ統一学校であろうとしています。」
教育の目的を、知識や技能の習得だけではなく、「人間の全存在の要求に応えること」に置く。まずこの言葉に共感しました。
「『自由学園』の創立」(1921)にも、生活実践と教科の学びと芸術の融合を通じて、人間全体の成長を願う羽仁もと子の教育観が示されています。
しかし同時に、シュタイナーは、理想を掲げるだけでは教育は実現できないことを率直に語っています。現実の社会の中で理想を持って教育を実践するには、現実に柔軟に向き合う姿勢が同時に必要だと述べています。
「妥協は不可避なのです。なぜなら私たちは、本当に自由に行動するところにまでは来ていないからです。」
そして、「悪しき教育目標や悪しき卒業目標が国家によって定められています・・・」という冒頭にあげた言葉がこの後に続きます。
自由な人間の育成を目指すシュタイナーは、人間を型にはめようとする教育制度や社会との緊張関係を強く意識していました。では、その現実にどのように向き合おうとしていたのでしょうか。
シュタイナーが期待をかけたのがこの講演の聴き手である、志を共にする教員の「共同体」、そしてその一人ひとりでした。
「私たちは二つの矛盾する力を一つに結びつけなければなりません。一方では私たちの理想が何であるかを知っていなければなりません。けれどももう一方では、その理想からはるかにかけ離れているものに適応できるだけの柔軟性をもっていなければなりません。」
そして、「その課題に応えるためには、一人ひとりがそれぞれの人格のすべてを動員し」、「世界中の出来事に生きいきとした関心を寄せ」なければならないと記します。
理想を失わず、しかし現実から目を背けることなく、その間で教育を創り続ける。そのためにシュタイナーは、教師一人ひとりが自らの人格をかけて、現実に「柔軟性」をもって向き合うことを求めたのでした。
100年以上前に語られたこれらの言葉を、私は非常に現代的な問いかけとして受け止めました。
少子化や不登校の増加といった教育現場の課題に加え、教育や研究が社会的・政策的な要請とどのような関係を持つべきか、また、その自律性をどのように保つべきかが問われる今、日本の教育を取り巻く状況は大きく揺れ動いています。
だからこそ、「教育は何のためにあるのか」という根本の問い、そして教育の自律性や自由はいかに守られるべきかという問いに、改めて深く向き合うことが求められているように思います。















