• 社会とのつながり
  • 自由学園と社会とのつながり
  • 環境面でのつながり
  • 「木」にかかわるつながり
  • 「水」にかかわるつながり
  • 「食と農」にかかわるつながり
  • 地域とのつながり
  • 生活とのつながり
  • HOME
  • 社会とのつながり_自由学園と社会とのつながり
自由学園と社会とのつながり
 「それ自身 一つの社会として生き成長し そうして働きかけつつある学校」
 この言葉は、1932年にフランスのニースで開催された「世界新教育会議」に羽仁もと子が招かれて講演をしたときの講演題名です。羽仁吉一は「この言葉は自由学園の憲法だ」といっています。
 「よい社会を作る」ことを終生の目標とした創立者は、「よい社会をつくることの出来る人間を育てたい」との思いから自由学園を創設しましたが、そのような人間を育てるためには、学校そのものが「一つの社会として生き成長」し続けるものでなくてはならないと考えました。そのために、まずは生徒一人ひとりが自分の属する社会である学校をよくすることを学び、体験することを通して「社会に役立つ人間」へと育つこと。それと同時に、学校そのものも「社会に対して働き続けられる存在」でありたいと願い、実践をしてきました。

 羽仁もと子は、毎春、入学式で新しく入学してきた生徒たちに、「あなたたちは学校をよくするために入学を許されたのだよ」と語りかけました。そして、その言葉は現在も入学式で学園長から新入生に贈られています。
 自分の属する社会を一人ひとりが自分のできることでよりよくすることを、自由学園教育が標榜する「生活即教育」の中で学び、体験するとともに、その学びと体験をもとに、個人として、また学校という一つの団体として社会への働きかけを行ない、それにより自らも成長する「正の循環」を生みだすことを、自由学園は目指しています。
創立者の羽仁吉一・もと子夫妻
  • 創立者の羽仁吉一・もと子夫妻
自由学園の新入生
  • 自由学園の新入生

自由学園と社会とのつながりの歩
 自由学園が最初に社会に対する働きかけをしたのは、創立3年目に起きた関東大震災のときでした。幸い校舎の損傷を免れた自由学園は、女学生たちが、それまでに「生活即教育」の中で学んできた「衣」「食」「住」の体験を活かして救援活動に参加しました。このことから、創立者は自由学園が「社会に働きかける存在」となれることを確信したと思われます。
 社会への関心は卒業後の活動へと展開し、自由学園消費組合発足(1928年)、南沢セッツルメント発足(1930年)、自由学園工芸研究所発足(1932年)へと拡がっていきました。
   1935年に東北地方を襲った大冷害のときには、「家族日本を作りましょう。東北農村の再生を助けて」と『婦人之友』を通して社会に呼びかけ、「婦人之友」の愛読者で結成された「友の会」が興した救援活動に卒業生たちも参加しました。戦後は、活動の主体が卒業生から学生に変わり、最高学年の女子学生が全国で行った農閑期衣食住学校、東北と農場のある那須地域で行った農繁期託児所の活動は1973年まで続きました。
 1970年以降も、阪神淡路をはじめ、各地の災害救助活動に参加するとともに、長年続けてきた国内での育林活動をもとに、ネパールでの植林や地域交流に学生が主体となった活動を展開してきています。
 また生活面では、1935年頃から生徒たちが学んだことを活かして、自らで在学中や卒業後に「よい社会実現のためのよりよい生活」の一助にと、新しい合理的生活への提案として「工芸研究所」「消費経済研究部」「食事研究グループ」の組織的活動を、全国友の会との協働の中で発展させてきています。

「環境面でのつながり」
「地域とのつながり」
「生活とのつながり」
ページトップへ