「与えられた命を活かして」/学園長ブログ - 一貫教育の【自由学園】/ 幼稚園・小学校・中学・高校・大学部・45歳以上

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学園長ブログ

「与えられた命を活かして」

2023年1月1日

新年おめでとうございます。
(2023年は兎年。写真は初等部のウサギです。)

自由学園に連なる皆さんに、本日動画配信という形で新年礼拝のメッセージをお送りいたしました。開会のお祈りと讃美歌411番の伴奏は村山順吉理事長にお願いしました。
以下メッセージの内容を掲載します。
皆さまにとって、この一年がよい年となりますように、心からお祈りいたします。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

讃美歌411番
1 すべしらす神よ、 ときわにみちびく み手のおおみわざ、 われらほめたたう
2 あたらしき年は 主の愛をしめす、めぐみはたえせじ 年のおわるまで。
3 いえにもたびにも よるひるわかたず、みめぐみをうけて この年をすごさん。
4 われらのゆくさき さだかに見えねど、みちびくひかりに 身を委ねまつらん。
5 禍幸よしあし ゆきかうなかにも、われらのよろこび やすきは主にあり

ルカによる福音書 12章22-32節 思い悩むな
22それから、イエスは弟子たちに言われた。「だから、言っておく。命のことで何を食べようか、体のことで何を着ようかと思い悩むな。 23命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切だ。 24烏のことを考えてみなさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、納屋も倉も持たない。だが、神は烏を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりもどれほど価値があることか。 25あなたがたのうちのだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。 26こんなごく小さな事さえできないのに、なぜ、ほかの事まで思い悩むのか。 27野原の花がどのように育つかを考えてみなさい。働きもせず紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。 28今日は野にあって、明日は炉に投げ込まれる草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことである。信仰の薄い者たちよ。 29あなたがたも、何を食べようか、何を飲もうかと考えてはならない。また、思い悩むな。 30それはみな、世の異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの父は、これらのものがあなたがたに必要なことをご存じである。 31ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる。 32小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。

2学期末、女子部、男子部、最高学部3部合同で行われた終業式では、それぞれの委員長たちが友への感謝の言葉と共に、9月からの生活を振り返り思いを述べました。いつも通りの報告なのですが、クリスマスに向かう中で、神さまから人間に注がれる愛への感謝をもって、皆で互いに感謝と温かい思いをもってこの時期を過ごしたいと思っていた私にとって、その言葉はとてもうれしく新鮮に聞こえました。委員長たちは次のようなことについて触れました。

・10月の体操発表ではデンマークからの指導者にも支えられ、少ない練習回数の中で互いに教え合い、真っ暗になるまで練習し、皆で一つのものを作りあげる事ができたこと。

・野の花祭では準備期間も当日も、皆の喜び溢れる笑顔がたくさんあったこと。どちらの行事もリーダーたちの働きのおかげもあって、この状況においての最大限の形で開催ができたこと。

・平和週間ではそれぞれが平和や戦争、 学園の事についても深く考えよい時間が過ごせたこと。

・毎朝の礼拝で3年ぶりに讃美歌が歌えるようになり、 小さな声でも、皆で同じ場所に集い歌う喜びを感じたこと。

・寮生活での交わりが以前よりもできるようになったこと。

・「探求」の学びに向う皆の熱心な取り組みの姿が見られたこと。

・男子部では朝の本鈴前の落ち葉掃きが始まり、朝から皆が学園のために掃除に取り組む姿が見られたこと。

・女子部委員長はクリスマスの午餐会を、集えない人のことも思い、やれる限りの工夫をして共にできた喜びも語りました。

生徒学生たちの言葉から、自由学園の生活と学びには日常的に、誰かが誰かとつながり、互いに支え合い、温かい思いを重ね合い、共に生きる喜びを感じ合うことができる多くの機会があることをあらためて感じました。そして自由学園のモットーである「生活即教育」とは、単に生活の中に学びを見出すという意味を超えて、愛を学ぶ生活こそが教育の中心であるということを示す言葉であると改めて感じました。クリスマスを前にうれしい終業式でした。

今年の新年礼拝はオンライン配信となりましたが、新年を迎えるにあたって「神様の導き、お守りを心から信じ、それぞれが与えられた命を精一杯に活かして歩む一年にしたい」という思いをもって、ルカによる福音書 12章から「思い悩むな」という箇所を選びました。

・・・命のことで何を食べようか、体のことで何を着ようかと思い悩むな。 命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切だ。

これは不思議に感じられる言葉です。なぜならば、私たちは食べ物によって命が生かされると考えているからです。しかしイエスさまは、食べ物よりも命そのものが大切であると語られています。体についても同様です。私たちは健康な体のために衣服は大切と思いますが、イエスさまは、衣服よりも体そのものが大切とおっしゃいました。

これはどういう意味でしょうか。よく考えてみると、私たちの生き方に関わる、とても重要な問いかけがなされていることに気づきます。

その問いとは「あなたたちは、かけがえのない命を本当に活かす生き方を大切にしているか?」というものです。そして「それよりも、食べることのほうが大切であると考えてしまっているのではないか。日々、食べ物について考えるほどに、本当の自分の命の使い方、命の活かし方について考えているか?」という問いかけです。ここでいう「食べ物」とは、実際の「食べ物」にとどまらず、目に見える人間的な価値の全体と考えてもよいのではないかと思います。

さらに考えると、食べ物によって私たちの命や体が生かされているという見方そのものが大きな間違いで、実は命や体は神様によって与えられ、生かされているのであり、命を与え生かしてくださっている神様の前に立って、その命の使い方を考え、用いることこそが大切なのではないかと気づかされます。

イエスさまは、命を与えられていることの尊さ、本当の命の大切さを忘れてしまっている私たち人間に、そのことを思い出させる言葉として、不要なことで思い悩むのはやめなさいとおっしゃっているのだと思います。

「あなたに与えられている命は、食べ物よりも衣服よりもずっと尊いものですよ、あなたはその命を十分に生かして自由に生きることが出来る人ですよ、食べ物や衣服のためではなく、あなたに与えられた本当の命を活かして生きる道を歩みなさい」とおっしゃってくださっているのだと思います。そして私たちがそのような道を歩むときに神様は、鳥を養い、働きもせず紡ぎもしない野原の花を美しく装ってくださるように、それ以上に、人間を養ってくださるというのです。

・・・何を食べようか、何を飲もうかと考えてはならない。また、思い悩むな。・・・あなたがたの父は、これらのものがあなたがたに必要なことをご存じである。ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる。

神様の前に立って命を活かそうとするとき、神さまはそのような私たちを、「思い悩むことは何もない」といって導いてくださり、本当に必要なものを整えてくださると約束してくださっています。思い煩いを手放すことは簡単なことではありませんが、すべて人間の思い煩いを手放して、神の国に向かう神様の愛の計画の中に、私たち一人ひとりが生かされることを信じて、与えられた命を精一杯に生かしつつ歩める一年でありたいと思います。

・・・小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。

初めに先学期の生徒たちの、互いに愛し合い、協力し合い、励まし合う生活の様子についてお話ししました。私たちは小さな群れですが、この生活が神様のお守りの中にあることを心から信じて、世界中のすべての友と手を携え合って、心を込めてこの一年を過ごしたいと思います。

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