明治29年(1896年)、16歳の羽仁吉一先生が故郷三田尻で創刊・編集に携わっていた「防長実業新聞」。まだ実物を目にすることのなかったこの新聞を、日本新聞博物館鴨居分室で閲覧する機会を得ました。
紙面は5月26日の1日分でしたが、吉一先生について調べてきた私は、120数年をタイムスリップして、若き日の新聞人羽仁吉一少年に対面するような興奮と感動に浸ってしまいました。
先日伺った「ニュースパーク」の多様性をテーマとする企画展では、羽仁もと子24歳の時の執筆記事が掲載された明治32年の「報知新聞」の実物を初めて見て感動しましたが、この紙面はそれよりも3年古いものです。
しかも報知新聞が当時の日本で指折りの大新聞の一つであるのに対して、防長実業新聞は山口県三田尻で刊行されていた小さな地方紙です。対面できるとは思っていませんでした。
吉一先生はその後上京して20歳で報知新聞社に入社しますが、入社後まもなく実力を発揮し、その能力が高く評価されています。その背景にはこの三田尻で新聞編集に携わったこの経験があります。
この新聞博物館分室には新聞関係資料20万点が保管されているそうですが、今回お世話になった学芸員の工藤路江さんが、私の質問に即座に答え、その資料の山の中にこの紙面があることを認識しておられたことは本当に驚きでした。
またこの資料の半分の10万点は「羽島コレクション」と呼ばれる個人収集家の方が集めたもので、防長実業新聞もそのコレクションに含まれていたものだそうです。羽島さんにもお礼を申し上げたい気持ちです。
これとは別に、羽仁もと子が最初に報知新聞に書いたかとも言われる「谷子爵夫人の養蚕談」の掲載紙なども見せていただきました。
新聞関連書籍も豊富で、後日、また調査に来たいと思いました。
ニュースパークの企画展「多様性 メディアが変えたもの メディアを変えたもの」は、考えさせられる視点を多く持った内容でした。開催は8月20日(日)までです。
*吉一先生の写真は『自由学人 羽仁吉一』より。20歳のときのものです。
2023年8月10日 高橋和也(自由学園学園長)