6月14日(土)美しい新緑の中、午前9時半より、ひと月に一度リビングアカデミー(以下LA)生全員が顔を合わせる「みんなの日」が、午前中は記念講堂で、午後は緑ヶ丘跡地の校舎2階ホールで行われ、116名(zoom参加2名を含む)が集まった。
はじめに、石川リーダーの司会で礼拝が行われ、讃美歌122番「みどりもふかき」を歌った。
教養講座は、通常とは異なり、最高学部生も含めて一般公開をしたことで、開始時間が10時40分に変更になったため、以下のようにプログラムを入れ替え、「忘れられない人々」は行わなかった。
<諸報告>
- LA祭の日程変更について:11月15日(土)から11月23日(日)に変更。
② 6月21日(土)午後開催の「学部祭」について。
<10期生の自己紹介>
10期生の中から10名の方に自己紹介をしていただく。
<教養講座「思想しつつ・生活しつつ・祈りつつ~ヴィクトール・フランクルと羽仁もと子」勝田茅生先生>(要約)
今年度第2回の教養講座は勝田茅生先生(日本ロゴセラピスト協会長)から「思想しつつ・生活しつつ・祈りつつ~ヴィクトール・フランクルと羽仁もと子」と題して、講演をしていただいた。
Ⅰ.自由について
1.「飛べない鷹」
「飛べない鷹」の物語。鷹は鶏とともに育てられ、自分を鶏だと信じて飛ぶことをやめてしまう。しかし自然学者に連れられ山の頂で太陽を見たとき、自らの本性を思い出し、力強く空へ舞い上がることができた。人間の中にも、「鷹性(他者のために力を尽くす領域)」と「鶏性(エゴ的満足を求める領域)」の二つが存在する。人生における本当の自由とは、単なる快楽追求ではなく、自分のエゴを乗り越え、他者と共により良く生きようとする「精神次元」への飛翔なのである。
フランクルは、ナチスの迫害を受けながらも、極限状況の中で人間の「意味への意志」が希望と自由を与えると提唱し、自由には三つの段階:①目標に向かってまなざしを定める、②その目標に責任を感じる、③エゴからの解放を決意し行動を始める、があると述べた。そしてこの三段階を経てこそ、人は「精神次元」において真の自由を得ることができる。
2.「何かからの自由」について
①羽仁もと子における「何かからの自由」
女性に学問は不要とされた時代に、18歳で上京し高等女学校へ進学。儒教思想が支配的だった教育界で、自らの意思でキリスト教の洗礼を受けることを選択し、思想的自由を求めた。19歳で教師を務めながら恋愛結婚をしたが、相手との生活に合わず、半年で自ら家を出た。当時、女性からの離婚などは極めて稀であり、批判の的となったが、彼女は自らの理想に忠実であり続けた。
その後、新聞記者という男性中心の職業に挑戦。正式に日本初の女性新聞記者となる。職場では男性記者からの差別に遭いながらも、「自分だからこそ書ける記事がある」という信念で乗り越えた。
彼女のまなざしは常に「太陽」、つまり高い目標に向かっていた。鷹が太陽に向かって飛び立ったように、もと子も幾重もの束縛から自由になっていった。
②フランクルにおける「何かからの自由」
フランクルはウィーンで医師として活躍していたが、ナチスによるユダヤ人迫害により社会的自由を奪われ、診療所も閉鎖された。亡命の機会を得ながらも、両親を見捨てられず残留を決意。やがて強制収容所に送られ、極限状態に置かれながらも、精神的に自分を保つ方法を模索した。彼は「自己距離化」によって苦しみを客観視し、想像力で希望を見出した。この経験を通じ、後のロゴセラピーに繋がる考え方を深めていった。
3.「何かへ向かっていく自由」について
フランクルは、人は未来に意味や課題を見出すことで、苦境を乗り越えて自由に生きる力を得られると説いた。自分を鶏と思い込んでいた鷹が太陽の光を見て飛び立ったように、人間も目標を見つけることで束縛から解放される。強制収容所でフランクルは、生きる目的を失った被収容者に対して、未来に待つ家族や仕事などの課題を意識させることで絶望から救おうとした。この姿勢は「自己超越」と呼ばれ、人間の重要な精神的能力とされている。
Ⅱ.「意味」に満たされた人生
1.思想しつつ
羽仁もと子は日本初の女性ジャーナリストとして偏見に耐えながら記事を書き、女性の精神的自立の必要性を痛感し『婦人之友』を創刊。家庭の問題を取り上げ、合理的な生活設計ができる女性の育成を目指し、自由学園を創立した。彼女の思想は、フランクルの「自己超越」や「意味への意志」と重なり、自分中心の「天動説的」な生き方から共同体や社会全体の幸福を目指す「地動説的」な生き方を推奨する。両者は人間の可能性を信じ、世界の平和に貢献する教育を追求した。
2.生活しつつ
フランクルと羽仁もと子は、思想を実生活で体現することに重きを置いた人物である。フランクルは強制収容所で原稿を失った際、自らの理論であるロゴセラピーを行動で証明すべく生き方を見直した。「状況ごとの意味の要請」に応え、人生からの問いに責任を持って答える姿勢を貫いた。一方、羽仁もと子は教育を通じて社会的実践を重視し、関東大震災や東北の冷害では生徒とともに支援活動を行った。また、中国・北京に生活学校を設立し、対等な学び合いを推進した。夫・吉一の支えも大きく、思想と実践の融合が2人の共通点であった。
3.祈りつつ
羽仁もと子とフランクルは、大きな喪失と悲しみを経験しながらも、それを通じて深い精神的気づきを得た。もと子は娘を失った悲しみの中で、俗世的な愛を超えた霊的な価値に目覚め、祈りと感謝の心を深めた。フランクルもまた、妻や母を亡くした苦しみの中に意味を見出そうとし、自分が悲しみを背負うことに価値を見いだした。二人は「苦しみの中に意味を見出す」姿勢と、「神への絶対的信頼」を持ち、祈りを通じて人生の再出発を果たした。
Ⅲ.2人の共通点
フランクルと羽仁もと子は、伝統に依存せず新しい思想を展開し、強い信念で実践した。苦難を経験したからこそ他者への深い共感を持ち、困難な中でも寄り添い支える姿勢が共通している。彼らは生涯学び続ける姿勢を貫き、自己教育の重要性を示した。フランクルのロゴセラピーも単なる心理治療ではなく、生き方そのものであると説いている。さらに両者は良き伴侶と共に歩み、人生の最後まで協力し合うパートナーシップを築いた。

教養講座終了後、スタッフの酒本の指導で生活体操を行って午前の部を終了した。
<昼食>
初等部食堂で家族ごとにテーブルを囲んで手作りの昼食をいただく。メニューは、コーンライス、ミートローフ、グリーンサラダ、ミニトマトで、LA土の会で育てた玉ねぎを、ミートローフとサラダに使った。
<午後の集い:応急救護の方法の講習と避難訓練>
午後は13時30分より緑が丘校舎の教室とホールを使って、東京消防庁東久留米消防署の方3名による応急救護の方法(人工呼吸、AEDの使い方)の講習が行われた。4グループに分かれて人形を使っての実践練習も行った。
これからの季節、熱中症に気を付けること、止血法など教えていただいたあと、地震を想定した避難訓練を行った。身を低くしてかがみ、園庭に避難。家族ごとに揃って点呼を行った。