「震洋特別攻撃隊・舟越純一さんのこと」/前学園長ブログ - 一貫教育の【自由学園】/ 幼稚園・小学校・中学・高校・大学部・45歳以上

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前学園長ブログ

「震洋特別攻撃隊・舟越純一さんのこと」

2023年8月29日

この夏、終戦特集の記事の中で「震洋特別攻撃隊」の名前を目にしました。自由学園慰霊碑に名前が刻まれている舟越純一さんが、この第15震洋隊に衛生兵として所属しお亡くなりになったことは、卒業生の間でもあまり知られていないかもしれません。

この部隊は東シナ海を玉洋丸で移動中、アメリカの潜水艦から2度の攻撃を受けました。舟越さんのご命日は、2度目の攻撃で艦が沈められた1944年11月14日とされています。同乗した震洋隊員戦没者名簿219名の中に、舟越さんのお名前が記されています。

震洋は第4の特攻兵器と言われ、小型のベニヤ板製モーターボートの先端に250キロの爆薬を積み込み、日本領土に近づく敵艦艇に体当たりすることを目的に開発されたものです。

米軍からは「Suicide Boat(自殺ボート)」と呼ばれ、作家島尾敏雄は隊長として所属していたこの部隊について『出発は遂に訪れず』に描いています。

海辺の洞穴に潜み敵艦の接近を待つ作戦であるため、部隊にはその間、隊を支える要員が多く必要とされたそうです。震洋隊の戦没者慰霊碑には3500人のお名前が刻まれているそうですが、実際はその数倍の方が犠牲になっているとも言われています。

極秘作戦だったため資料はほとんど残されておらず、「誰も知らない特攻」とも言われていましたが、2021年、アメリカ国立公文書館で終戦直後に撮影された「震洋」の訓練所などの写真約40枚が見つかりました。

この震洋隊については、舟越さんの妹の秋吉美也子さんが長く地道な調査を重ねて論文等にまとめられ、私もこれまで様々な資料をお送りいただきました。
終戦60年を迎えた2005年、私は生徒たちが自分のこととして戦争に向き合う機会になるようにと願い、男子部中等科2年生(男子部70回生)と共に自由学園卒業生の戦没者のお一人おひとりについて調べたことがありました。

生徒たちは初めは戦争に深い関心を持っていませんでしたが、12人の先輩が残した生徒時代の日誌の言葉に自分たちの生活を重ね、当時の同級生の方々の言葉に耳を傾ける中で、次第に身近な出来事と感じるようになり、真剣に向き合うように変わっていきました。このときにも秋吉さんにはたいへんお世話になりました。

昨年暮れ、私は初めて、海底から引き上げられた船体の一部と復元された実物大の震洋艇を目にしました。最高学部2年生の九州研修旅行で訪れた知覧特攻平和会館でのことです。

ベニヤ製の簡素なボートを一目見て、この作戦のあまりの無謀さと、圧倒的な物量を誇る米軍に対し、若い命そのものを次々と殺人兵器としていく判断の異常さを感じました。

ロシアとウクライナ戦争のニュースに日々触れる中での見学には緊張感がありました。学生たちは、展示された多くの同年代の特攻隊員の遺書を静かに読んでいました。私は舟越さんについてお話しし、舟越さんがご家族に宛てた「我らの肩に祖国の現在と将来はかかれり 永遠なるものの中に我生きん」という最後の言葉も紹介しました。

その夜のミィーティングでは「今平和のために自分たちに何ができるか考えたい。まずこのような戦争の歴史を知っていくことの大切さを感じている」「遺書の言葉は残される人を思う気持ちに溢れていた。しかし本当に訴えたい心の叫びは決して表現できない時代であることが文面から伝わってきた。これを繰り返してはいけない」といった思いが語られました。

戦争を始めないために、戦争を起こす国にしないために何ができるか。何をしなければいけないか。過去を知ることもそのための一つの大切な方法だと思います。

◆秋吉美也子さん『いつもお天気』

◆「現代ビジネス 2023年8月15日」に震洋関連記事
https://gendai.media/articles/-/114716?page=1&imp=0

◆「FNNプライムオンライン 2022年1月30日 ベニヤ板の小型ボートで敵艦に突進…見つかった水上特攻艇“極秘写真” 元隊員が語る戦友の記憶」
https://www.fnn.jp/articles/-/304764

◆震洋の写真は知覧特攻平和会館HPより
https://www.chiran-tokkou.jp/sinyou.html

2023年8月16日 高橋和也(自由学園学園長)

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